先日(101125)、HCD-net(*)が主催するサロンに出る。題は「デザイン思考とHCD」。
自分ももう30年もデザインをしてきたが、デザイン思考(Design Thinking)という考え方は、確かにあるように思う。そしてその思考方法が、いわゆるデザイン以外のいろいろな方面でも有効であると思っている。しかしもし「それは具体的にどういう考え方?」と聞かれたら、うまく答えられない。
発表者の田村さん、佐々木さん、山崎さん、三者三様に、デザイン思考のいろいろな側面を率直に語られていたが、デザイン思考が具体的にどんなものかは、最終的にははっきりと提示されなかった。私はそのなんとなくゆるい終わり方はよかったな、と思った。もしも、誰かがデザイン思考とは、ああしてこうしてああすることなんですよ、などとまとめたら、さぞがっかりしたと思う。がっかりというか、それは違うんじゃない、ときっと思っただろう。
私は、前にも言ったかも知れないけど、こんな風に考えている。たとえば工学は問題解決とものを作り上げていくということにおいてデザインと近いところにある領域であるけれど、その基本的な考え方は、正しいと立証されたことだけを使って、論理的に正しいやり方で、それを積み上げていく。だから再現性があるし、誰がやってもうまくいく。そうでなければ工学とはいえない。しかし、ものを実際に作りあげる現場では、すべて立証されたことだけを使って組み立てられない局面がたくさんある。たとえば自動車メーカーは、同じ日本という市場に対して各社各様の最適解としての新車をリリースしている。もしもすべてがわかっているのなら、どの自動車メーカーが作っても同じものにならなきゃおかしいでしょ。たとえば、マーケットも消費者も、ぜんぜん確実なものではない、そもそも消費者というくくり方が正しいのかもよくはわからない。そう考えたら、本当にわからないものの上にわからないものを重ねていくことによってしか、ほとんどのものは作れない。別に市場を持ち出さなくて、たとえば宇宙に送るロケットだって、つくる国が違えば、違う考え方のロケットになる。
この、よくわからない条件と問題に対して、とにかくあがきながらも解を求める行為を私は「デザイン」と呼ぶのではないかと思っている。だから「デザイン思考」といわれても、その内容はよくわからない。少なくともスッキリと明快に語ることはできない。もしも、ある一つのデザイン要素、たとえば自動車の「最適な配色」を決める方程式が導けたとする。そのときに、その方程式に具体的な値を入れて、来年の新車の「正解」の配色を決める、という行為を私はデザインとは呼ばないだろうということ。誰がやってもポンと正しい答えが出せる仕事をしている人は、デザイナーではなく、単なる「ボタンを押す係の人」にすぎない。違う?
だから正確にはデザイン(=デザイン思考をすること)は、よくわからないことをする、のではなくて、よくわからないことをすることを、デザインと呼んでいる、ということなんだと思う。
案内にあった『米IDEOの提唱する「デザイン思考(Design Thinking)」...これはもともとHCDプロセスを基礎として...』というのは、誤解を招きそうなフレーズだと思った。IDEDが確かに書物で言及したかも知れないけれど、デザイン思考という言葉も概念もずっと昔から存在したと思う。デザイン思考の中でも特に「IDEOが提唱するデザイン思考」というものは、あるかもしれないが、デザイン思考という概念をIDEOが発明したわけではない。同様に、HCDプロセスが存在するはるか以前からデザイン思考という概念はあったので、HCDプロセスを基礎としてはいないと思う。
それともサロンでは「IDEOの提唱するデザイン思考」についてだけ、語られていたってことだろうか???
* HCDは、Human Centered Designの略で、HCD-netはそれを推進するNPO法人。(http://www.hcdnet.org/)
(101127)
2010年11月27日土曜日
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