2010年8月16日月曜日

シンクロニシティ

自分の状態と自分が認識する外界の状況はシンクロする。
自分が何もかも不明の中にいるように思うとき、社会もまた不明の中にいるように感じる。
自分があらゆる物に愛を感じるとき、いろいろなものが愛に輝いて見える。
はやり言葉と同じように、ある感覚が開くと、その感覚にフィットする周囲の状況や事象が、自動的にフォーカスされるようになる。それでそのような事柄が身の回りにあふれているように感じる。そういうことだ、たぶん。
(100816)

2010年8月14日土曜日

デザインの二つのアプローチ

デザインには二つのアプローチがある。一つは、あるもの(デザイン対象)の構造や、製法にかかわる設計の局面。いかに効率よくそれを作ることができるか、どうすればロバストになるか。つまりそれをどう作るかを問うている。
もう一つは、あるものが現象としてどのようにヒトの眼や耳に映るか、にかかわる設計の局面。人にとって、それがどういう意味や価値を持つようになるのか、を問う視線。これはつまり、何を作るべきかを問うている。
前者のHow toが工学が目指しているデザイン(設計)であり、後者のWhatが、狭い意味のデザインが目指すデザイン(設計)なのではないだろうか。
今起きている工学とデザインの歩み寄りとは、HowとWhatを結びつける試みと捉えることができる。つまり、これは本当の意味での一つのデザインという行為の完成に向けての道程なのだと考えたい。
(100814)

2010年8月13日金曜日

思い込み

「こんなに私には自明のことなのだから、それは正しいにちがいない。それ以外の解ややり方があるはずがない。」と、思うこと、そこから逃れるのは、何人といえど容易でない。どんな高名な科学者や宗教家さえも。それは一面の真実をついているとはいえ、自分の場合は特に後で考えると単なる思い込みか勘違いであることが多い。
しかしまた、そういった客観的にはやや怪しい、本人にとっては確信に満ちた言明が、歴史を作り、思想を開き、ある時は科学的な大発見を導くことも紛れのない事実だ。
(100813)

2010年8月10日火曜日

納得と共感のデザインにむけて

正確で客観的な実証や論考を待たずに、積極的に納得と共感をベースに判断をし、モノづくりに当たること。
(100810)