2007年3月30日金曜日

ユーザビリティとデザイン

先日あるクライアントのデザインマネージャーのH氏と話をしていたときのこと、彼は次のようなことをいっていた。
「ユーザビリティのテスターと、デザインは明らかに全く違う。自分たちのやっているデザインの価値は本当に高い(私たちも同じ)ので、それをもっとどうにかして社内外に伝えなければならない。」と。
彼は大きなメーカーのデザインセクションに属している。製品のユーザーインターフェースデザインを実際にやっているデザイナーからみたら、ユーザビリティ系の活動はぜんぜん中途半端に見えるのだと思う。私もそう思う。

最近では、ユーザビリティ専門家たちは「ビッグユーザビリティ」といったことをいっている。使いにくいものを使いやすくするだけではなく、さらに気持ちよい、楽しくなるような使い心地を実現することを指している。またそれには「感性」といった言葉が付随することも多い。
でもいったいどんな手法で、それを実現しようというのだろう。彼らの目には、デザイナーが100年もやってきたことは何と映っているのだろう。
(070330)

2007年3月9日金曜日

好みに関する不確定性原理

人々に好まれるデザインがよいデザインとはかぎらない、ということを私は支持するものである。しかし一部の人達が、結果的に人の好みを計算して、デザインを決めようとしているようである。人の好みを測定し、計算し、決定することはできるのだろうか?

もし仮に、人々の何やかやを測定し、AというデザインがBよりもよい、と決定できたとしよう。しかし私だったら、デザインAは皆に好まれているそのことによって、好きでない、といいたい。少なくともそういう人がいても構わない。つまり測定すること自体が結果に影響を与えてしまう、ということである。このような好みに関する不確定性原理は成立すると思う。
(070309)

デザイナーと大工

家を建てるには大工が必要である。その意味はつまり、現場合わせや材料任せで作る部分がないと家はできない、ということ。すべてを設計時に決めることはできない。これをブリコラージュといってもよいのだろうか。
一方、大工だけでは家はできない。犬小屋ならともかく、人の住む家は設計者が設計図を書かなくては作れない。普通。
コンピュータのインターフェースを作る場合、デザイナー(あるいは他の誰でも)は、設計と大工の両方に関わらなければならない。発想を得るためのアイデアスケッチや全体の見取り図も書かなければならないし、カンナで材料を削ったりペンキで壁に色を塗ったりしなければならない。

学者(ユーザビリティの専門家、研究者)は、筆の使い方を知らない。使えなくても仕方ないのだけれど、むしろ問題は、ここで述べているような事情を理解していないために、それをないがしろにするか、無視する傾向にあるということ。そして彼らの目には、デザイナー=大工としか見えていないのではないか。どんなによい設計であっても、大工がヘボなら出来は悪いさ。

一方中途半端なデザイナーは、大工レベルのスキルに満足する、あるいはやはり自分でデザイナー=大工と考える。その上のレベルの仕事というのが存在することを想像することすらできない。

これらの人の片方ないし両方が、ほとんどのものを産みだしているのが現実なのだが、私たちはいったいこの事態に対してどのように対処すべきなのだろう。
(070309)