2009年5月11日月曜日

ビッグバン

ビッグバンというのは、不思議な現象だ。宇宙に「はじまり」があるなんて。
しかしその現象の科学的でない、ひとつの状況証拠として、地球以外の知的生命体が見つかっていないことがあげられるのではないか。
つまりもし、「はじまり」というものはなくて(と、書くと逆にそれはそれで妙な感じもする)、永遠の昔から宇宙が存在しつづけているとすると、現在われわれが他の知的生命体と遭遇していないことをどう説明できるだろうか?


もし、「はじまり」がなかったのならば、現在までですでに永遠の時が流れているということである。
永遠の時が流れたということは、起こりうることはすべて起こり終えているのではないか、ということである。
そして今のところ、我々は知的生命体と遭遇をしていない。
だとするなら、知的生命体は地球人だけしかいないということにはならないか。
それは地球人が奇跡の存在(つまり神の子?)であるか、人間以外の知的生命体が宇宙に存在し続けられない正当な理由が他にあるか。
これはどちらもわたしには受け入れがたいような気がするのだが...。
(090511)


注:この話は論理的に抜けがあります。頭の体操と思って考えてみて。
(091214)

2009年5月8日金曜日

クリエーティブな問い

デザインというのは、与えられた問題に対して答えを導き出すことである、と遠い昔に教わった記憶がある。
しかし、むしろデザインというのは問いを発見することではないかと思うのだ。そしてもちろんその問いに対する答えも提示しなければならない。「現状はこのようになっているが、これはいささか問題ではなかろうか。」で止まったらそれは評論家なので、デザイナーは「このようにすればそれは解決できる」というところまで示す必要がある。


問いというものがあって、それに答えを出すとき、クリエーティブな答えというのはあるのだろうか。
よくよく考えて見ると、クリエーティブさは問いにこそあるのではないか。
(090508)