2008年9月19日金曜日

「使いやすさ」とデザイン

ユーザーインターフェースは、私が関わっているデザインの大きな部分である。ユーザーインターフェースのデザインをはしょって言ってしまえば、使いにくい製品をどう使いやすくするか、という視点からみたデザイン(設計)である。
しかし、「使いやすさ」はデザインのすべてではないし、私としては製品をデザインするにあたって、使いやすくしよう、という意識はあまりない。使いにくいことは、罪悪とすら思うし、なんとか使いにくくならないように心を砕いているけれど、不思議とこうすれば使いやすくなるだろう、とは発想しない。
私は、Windows という OS にどうしても慣れられない。(私にとって)使いにくいし、わかりにくいし、時に憎悪の対象にすらなる。Macintosh の方が何倍も自分にはフィットしているが、Macintosh が使いやすいか、と問われると微妙だ。確かにそう聞かれれば、Macintosh は Windows より「使いやすい」と答えるとは思うが。
たぶん私にとっては、「使いやすさ」というのは、相対的な尺度なのだと思う。しかしデザインに求めようとしているのは、絶対的な尺度の何かなのだと思う。それが私にとって「デザイン的によいもの」の概念なのだ。
話を Macintosh にもどせば、Macintosh は相対的でない何らかの価値を持っているように感じる、それ故にデザイン的に優れている、と私は思っている。

(080919)(090425)

2008年9月10日水曜日

NMC(Non Maximum Cognition)

人は常に認知的に最高の状態であるわけではない。一人の人をとってもその時々の体調や精神状態は異なる。また年齢という、より長いスパンで、認知能力が下がる場合もあるし、大きな波もある。
ユーザーインターフェースをデザインするにあたって、認知的に最高の状態を想定してしまいがちだ。冷静に考えれば誰でもわかるだろう、という基準でデザインを決めてしまいたくなる。
しかし、そうではない。それこそがユニバーサルデザインの基本となる視点というべきものなのだろう、と私は考えている。世に言うユニバーサルデザインとは違っているかも知れないが。
(080910)