2010年9月9日木曜日

プロダクトデザインの資格認定

プロダクトデザインの資格認定の動き。JIDA。
デザインに関する資格認定について。私には何となく自身の資質を放棄しているように感じる。
確かに日本においてデザインの地位(フィーも)がなかなか高まらない、という現状はある。こんなに意味も価値もある活動なのに、あまりに本当の意義が理解されていないと私も強く思う。だからといって「資格認定」というお墨付きの形で、その意義を説明抜きで納得させようというのは、結局自身の首を絞めることにならないだろうか?
本質的な問題は、デザインの意義が「理解されていない」ということにあるのだと思う。デザイン文化の本質的な尺度は、そこに住む人々がある一定の水準でデザインを理解しているということなのだと思う。
デザインの意義や評価に関する日本での一般の人達の状態は、一言で言えば思考停止、判断停止ということなのだろうと思う。決して意味がないとか価値がないと断定的に考えているわけではない。少しは考えては見たけど結局よくわからない。人の話を聞いたり本を読んでも答えがまちまちで本質的なことがみえない。じゃ、とりあえず考えるのを止めて、100円ショップで買った茶碗でお茶でも飲むか、と...。
こういった事態に対して「理解されること」に優先して、とにかくお墨付きなんだから、これはいいものなんだ、という思考停止をさらに助長する形で解決を図るのは、最終的に事態をさらに複雑にして悪化させることになると思う。仮にそれがうまくいって、よいデザインはそういう過程を経なければできないのだからお金もかかって当然だ、となってデザイナーが多少裕福になったとしても、結局デザインの真の理解が貧しいままでは、デザインが泣いちゃうよね。
じゃあ、どうするか。理解されるように不断の努力や説得を繰り返すしかないのではないですか。そのことにイライラせず、長期的な視点で訴え続けるしかないでしょう。
お墨付き(=権威)は、ある意味でもっとも反デザイン的なものではないかと思いますが、どうでしょうか。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

ご意見に賛成です。

局部的な技術の話としての資格は理解できるのですが,人々の行っている活動の“形”をつくるといった自分の関わっていきたい分野としての“デザイン”には,資格はふさわしくないように思います。

政治家や社長に資格がないのと共通性が感じられます。

og さんのコメント...

Mogさん、コメントをありがとうございます。
そう、資格のない職業や職種ってたくさんありますよね。アーティストとか、八百屋さんとか(あれ、八百屋さんにはあるのかな???)
そうそう、資格を認定する「資格」っていうのは、いったい誰に与えられたんでしょうか?