2010年9月22日水曜日

想像力と現実に起こること

検事の何某がFDの証拠を捏造して、無辜の人を陥れようとした事件。あいた口がふさがらない。
わたしにとってこの事件は、こんなチャチな考え方をするチャチな人間が良識の最後衛(宗教なき人にとっては、自分の良心以外での正義の実質的なうしろだて)に「居うる」という事実の「再」確認を迫った。
自分はこういうことが「起こりうること」を識っていたと思う。しかし識っていたことを忘れていた。
どんなに卑劣な犯罪も汚辱にみちた行為も、それが頭で想像できる範囲であるかぎり、それは起こりうるということは、必然であって、驚くべきことではないと思う。もちろん、本当に気高く自己犠牲的な無私な行為についても同じことだ。
人間の想像力の振れ幅は右から左へ非常に大きい。想像を絶するなんてことなんてほとんどないといってよい。(あるとすれば、それは想像力が不足しているのではないか。)
そして人は想像したことを、物理的に不可能でないかぎり実行に移す。60億を超す人口がいるのだから、それはかなりの高確率で起こる。だからこそ、そういったことを前提としてシステムは考えるべきであると思うのである。
(100922)

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