2010年9月14日火曜日

アフォーダンス

D.A.ノーマンが「誰のためのデザイン」でアフォーダンスを取り上げて久しい。当初インターフェースデザイン、あるいはデザインを読み解くすばらしい鍵のように思われた。しかし今あらためて考えてみると、それによって直接にデザインの問題が解決したわけではなかった、と私は思う。
自然物にせよ人工物にせよ、そこに存在するモノが人間に向けて(動物に向けて? 何らかの認識体に向けて?)何かのメッセージを発していると考えることは、可能であるとは思う。それによって話がわかりやすくなっているかも知れない。しかし、そう捉えることによって、いったい何が見えてくるのかよくわからなくなった。
そのドアの取っ手が引くように見えることの要因は、モノ側にあるのではなくやはりそれを見る人間側にあるのである。そしてその形が引くように見えること自体に普遍性はないと思う。つまりこういう形は絶対的に引く形であるということでなく、特定の時代や文化を背景として、そのように捉えられる、ということだ。ところ変われば品変わる。
事実を単純にいうなら「今の多くの使い手にとって、この形状は、引くモノと見られる傾向にある」ということにすぎない。もちろんデザイナーは、その形の見えが引くモノと捉えられることを、知っていなければならない。というか考え深い、というか普通のデザイナーはそのことも、そしてそれ以上のことも知っているし、知っていた。もっと言えば、そのことに心血を注いでいた。その中で時に失敗作はあるだろうし、制度として正しい方向付けができなかったデザインもあるだろう。だからといって、心理学者が解き明かす前には、デザイナーがそういったことを知らなかったかのように語ることは、ふー、許し難いと思う。大雑把にいってデザイナーとは、まさしくそういうことをやってきた職業なのだ。
(どうもノーマンのことになると、エキサイトしてしまっていけないですね。)
もう一度ギブソンをしっかり読まなければならない? もう読まなくてもいいかな?
(100914)

0 件のコメント: