はじめに存在した音は、おそらくホワイトノイズのような何の規則も持たない音の連なりであっただろう。風が奏でる木々のざわめき、火山の唸り、動物達の叫び声、それらの入り交じったノイズ。意味も持たずに発せられた音と音が不協和なままで存在していた。
たぶんはじめの人間達はそういった混沌とした音の堝(るつぼ)の中から何らかの規則性を読み取ることを覚えていったのだろう。波の寄せては返す繰りかえしのリズムも、はじめはただの冷たい水と固い砂の作りだすノイズであったに違いない。しかしひとたびそこにリズムを見いだすやいなや様々な意味がそこに生まれた。
(あるいは、自らの生きている証である心臓の鼓動とダブらせただろうか。)
はじめにあったカタチは、見えるがままのただの形であった。動物達の目に映る木々は木々の、動物は動物の、そして山は山のかたちであり、それらはただその他のものと区別をするに役に立つしるしであった。そして、形のもつ規則性により、木々と山々と動物達は同じ種類(!)のものでなく、また犬族と猫族はことなり、食べられる草とそうでない草とを見分けることを覚えたのだろう。
そして意味が生まれた。
規則とはあるものとあるものが同じであるということをつなぐ、見えない糸のようなものであり、不規則とはあるもの(ある種類のもの)があるものと違うという壁のようなものである。
しかし、当然これらは一つのことの裏と表であり切り離しては考えられない。N極のないS極だけの磁石はないし、男しかいない世界に「おとこ」という概念が存在しないのと同じことである。
つまりここで言っている規則性とは「同じであること」であり、不規則性とは「違っていること」といったほどの意味である。
(1989頃)
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