ウィンドウ以前―――テキストスクリーン
DOS などのスクリーンは基本的には1枚のコンソール画面という考え方によってによってユーザーとのコミュニケーションを取っている。
文字は基本的には1次元のバイト(またはワード)列である。したがってもし人間の短期記憶容量に制限がなければ、本来的に言えば、「一文字」しか表示できない画面でもよいといえる。(正確にはリターンを打つ前なら、エディットできるという意味では一行単位のディスプレイがあればよい。)
しかし、ハイパーテキストという概念を持ち出すまでもなく、人間の情報処理は同時発生的というか、一時にはるかに多面的な活動を行なっている。
すなわち、dir あるいは ls と打って、ダンプされたファイルのリストを見ながら、コマンドを打つなど。
この多面的な活動をサポートしようとして考えられたのがウィンドウという仕組みである。ウィンドウの概念以前には(*)マルチコンソールがあるのだろうと思う。
DOS のコマンドを打っていた頃にも、なぜバックスクロールができないのか、非常にもどかしかった。画面はたかだか 20数行しかないので、ちょっと長いファイルリストは、すぐに画面の上方にかき消えてしまうのだった。またマシンのスピードが徐々に上がって、ctrl+S なんて打っている暇もない。
しかし、その時代でも多少バッファをもてば、ある程度の逆スクロールぐらいできただろうにと思うのだ。それも見るだけだったら簡単なはずだ。(気が利かないやつ。)
ウィンドウは、本当にえらい。
マルチコンソール:
これはファンクションキーなどによって複数のコンソールを切り換えられるものである。一時に一枚の画面しか見ることができないが、それでも一つのコンソールよりは画期的に便利。
OS-9 という OS で実現していた。
(1989頃)
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