1989年1月1日日曜日

ソフトウェアデザイン宣言2

・ソフトウェアをデザインしなければならない。
・ソフトウェアのデザインとはコーディングレベルのいわゆるプログラムのデザインではない。
 また、そこに静止してある「かたち」のデザインではない。
 むしろ、空間としての「かたち」をデザインすることをも含めた、あらゆるものの時系列上でのレイアウトデザインである。
・ソフトウェアデザインとは「使用する」というまさしく"ing"系のダイナミックな「こと」のデザインである。
 またソフトウェアデザインはコミュニケーションのデザインである。
 人と機械、人と人の情報伝達系のデザインである。

1.デザインとソフトウェア
現在、市場をにぎわしている製品群が世の中に出て使用者の手にわたるまでには数多くのステップが存在している。その中でデザインというものがかかわっている工程は製品企画の段階から最終的なセールスプロモーションまで実に多岐にわたってきている。こうした企業レベルで捉えられる「デザイニング」の傾向は今後おそらくさらに広がって行くであろう。このなかで「ものを作る」という意味での製品デザインという場合、現在工業デザインの分野が主にこれにあたっている。
このような状況中で今、これまでにない製品種としてコンピュータというものが大きな産業の潮流をなしてきた。コンピュータを構成する要素としてはハードウェアとソフトウェアというものがあり、これらは初めからセットになっている場合もあるし、それぞれ製品として独立している場合もある。このうちハードウェアのデザインに関しては、現在のところ従来の工業デザインの手法によって行なわれているわけだが、ソフトウェアに関していえば製品デザインという見地からほとんど何のアプローチもなされていないというのが現状である。このほとんど手つかずの状態の原因は果たしてどこにあるのであろうか。ここではその答えを示すというよりは、問題点の指摘だけをしておこう。

<デザイン対象が不明>
ソフトウェアが通常の製品と決定的に違うのは、まず第一にソフトウェアには「かたち」というものがない。はたして形のないものをデザインすることができるのだろうか? いったい形のないものの何をデザインすればよいのだろうか? この問いに答えるには、そもそもデザインというものが何であって、何をデザインすればデザインをしたことになるのかという原始的で根源的な話題にさかのぼらねばならない。

<デザイン課題が不明>
第二に、ソフトウェアにおけるデザイン的な問題点が見えにくいことが挙げられる。もし、何の問題もなくソフトウェアが設計制作、そして流通されているのならば、デザイナーが何も口だしすべきことはない。いったいデザインによって何を解決しようというのだろうか?
しかし逆の見方からいえば、次から次へと送り出されるこのコンピュータライズした製品群に、はたして買った側は本当に満足してしているのだろうか。たとえばよくでる話題として、購入したパソコンやワープロの多くが押し入れの中で眠っているといわれるが、この押し入れパソコンや神棚ワープロとなってしまうことの原因ははたして使えなかった使用者側にあるのだろうか? 作る側としては使ってもらうユーザーのことを十分に理解して製品を作ったといえるだろうか。このことに関してデザイナーは一歩踏み込んで考える余地は本当にないのだろうか。
また、ソフトウェアとても激しい市場戦略の中で、他社製品と差別化した競争力を持たねばならないのは当然であり、その激しさは他の製品群と比べてもけっして劣るものではない。この市場バランスの競争力となりうる価値をデザインとして付加できる要素があるのではないだろうか。

いずれにしても、ここではソフトウェアにデザインがいまこそ必要であり、なおかつデザインが今後のソフトウェアの進展についての重要な鍵を握っているという視点で以下の章を見ていくことにしよう。

2.コンピュータの現状
コンピュータはハードウェア的に見るとどのような業界と比べても、もっとも進歩の激しい世界である。それどころかこれまでのいろいろな産業の歴史を紐といても、性能・価格の両面で信じられないほどの飛躍のしかたをしている。ソフトウェア的にみてもハードウェア程ではないにせよ、昨日までの夢物語が着実に現実のものになってきている。
特に、ハードウェアの急激な進展の結果として、使用者層の拡大とパーソナル化をもたらしてきた。理科系人間や機械好きの人達から、これまでコンピュータを使うなど少しも考えていなかったような人達に使用者のターゲットが広がってきている。いわゆる「コンピュータを知らない人達」を相手にコンピュータを作り、売らなければならない時代になってきたといえる。同様にパーソナル化の波が押し寄せている。ワードプロセッサやパソコンなどは数万円も出せば誰もが個人用に買えるようになってきているし、ワークステーションといった少し前では研究室レベルで使われていたようなパフォーマンスの機種が個人単位の使用をメインとした使用形態に移ってきている。このような事態を、少し前では誰も思いつかなかったことを考えると、今いわれているコンピュータがひとり一台という時代も、まったくの冗談どころか目前までやってきているといえる。
しかし、一方では前述したとおりこういった技術の進歩に使用者側がついていけないということも現実的には起きているわけで、このギャップはさらに広がっていく傾向にある。

3.コンピュータとはなにか
それでは、このわけのわからないコンピュータの素顔というものを、もう少し見ていくことにしよう。
コンピュータを買いましたとかコンピュータを導入した、というと真っ先に投げかけられるクエスチョンマークが「何に使うのですか?」、「どんなふうに役に立ちますか?」という問いである。実際、ハードウェアとしてのコンピュータを買っただけでは何の役にもたたない。パソコンといった類では、その機種にマッチするソフトウェアを買い、複雑な手続きを踏んでハードウェアに与えてやってはじめて使えるようになるし、大型マシンでは必要な機能を備えたソフトウェアを開発するか、させるかして使うことになる。したがって、導入前に、かなりはっきりした目的意識(何に使い、どのように便利になるのか。)をもってあたらねば、大型マシンでも神棚行きになりかねない。当然のことながら大型機ほど悲惨な結果となる。
一方、エアコンやビデオデッキ、あるいはコピーマシンを買うといやでも中にコンピュータ(この場合は、ソフトウェアはすでに組み込まれている)がはいっている。裏方にまわって仕事をしてくれていたときはよいが、いったんコンピュータとして多機能化の恩恵を受けようとした途端にわけのわからないものになってしまうことがある。これらの機能はいったい役にたっているといえるのだろうか? はっきりいって役にたっていないことが多いし、場合によっては、基本機能を阻害していることすらある。
こう見てくると、コンピュータはそれだけで役に立つ機械というより、むしろ大きな機能モデュールのようなものと考えたほうがよい。たとえば、エンジンやモーターのようなものと同じである。それだけでは、何の役にもたたないが、新しい使い方を考えてやると、とても役にたつものになる。小型のモーターを小さな箱にセットして刃を取付ければ鉛筆削りになるし、強力なものを建物にセットし、人の乗る箱を巻き上げるようにすればエレベーターになる。
コンピュータもセットの仕方、動作の仕方を考えることによってモーターとは比較にならぬ程の変身のしかたをする。この新しい使い方にあたるものが、ソフトウェアである。コンピュータのハードウェアが用意してくれている多くの細かな機能群をどう選び、組み合わせ、配列するかということを定めた仕様書がソフトウェアである。
したがって、ソフトウェアにこそコンピュータの本質があると考えて差し支えない。さらに言うならば、この「使い方のデザイン」こそがソフトウェア、しいてはコンピュータのデザインにほかならない。

4.ユーザーインターフェース
コンピュータと一口で言っても、組み込み型の数ミリ角のものから超高速の部屋を埋め尽くすようなものまである。コンピュータシステムの利用形態からいえば、何年間も無口に無人プラントの管理をするものから、ワープロなどのように人間と機能的なやりとりをしながら仕事をして行くもの、極端な例ではテレビゲームのようにじょう舌に人間とだまし合いを演じるものまである。
ソフトウェアデザインの大きな視座として、ソフトウェアの対話性ということが上げられる。一般的にはユーザーインターフェースとかマンマシンインターフェースという言葉でいわれている分野である。これは上記のようなシステムのうちじょう舌な機種ほどその比率は高いといえるが、どのような機種でもどこかの時点で人間との接点を持っている。ユーザーインターフェースに割かれるソフトウェアのコード(プログラム)の量も、開発の作業量も飛躍的に増加しているし、この傾向はさらに厳しさを増していくだろう。おそらく、ソフトウェアクライシスといわれることの中核的な課題に位置づけられて行くことと思われる。
また、ユーザーインターフェースの質的な面からいうと状況はさらに厳しいといえる。現在、あらゆる方面でその必要性が叫ばれてはいるにもかかわらずこれを専門的に扱っていける分野が存在しない。日本的な事情からいえば、ユーザーインターフェースの解決にあたって必要と思われる資質は、理科系、文科系の両面にクロスオーバーしたものなので、なかなか適切な人材が育ちにくい。問題の所在はもちろんソフトウェアのテクニック上のものではなく、そういったものを前提としたうえで、なおかつ人間と機械、人間と(機械を通しての)人間とのコミュニケーションをデザインしなければならない点がこれまでの分野にないむずかしいところといえる。

5.ソフトウェアデザインの実際

6.ソフトウェアデザインのステップ

....


9.結論
ソフトウェアをデザインするということの中に、新しいデザインの世界が広がっている。これまで、「かたち」あるいは「もの」の世界に限定されがちであったデザインをもう一度再構築し、普遍化するためには避けて通れない一つのゲートである。真に使うものとしての道具という見方から見直すとデザイン上の解決すべき点は数多く残っているし、またこういったアプローチをとれることにこそデザインの特質がある。

ここでの結論はもちろん本論が最初に述べたことではなく、こういった議論はデザイン行為が始まったときから潜在的にあったはずであるし、従来の道具や機械やメディアがデザインされる時点において暗黙のうちに行わていたことであろう。むしろコンピュータという我々の頭脳を模倣する機械が現われて、工業的にそれを処理しなければならなくなってきた今日において、問題が露になったということであろうと思う。


(89年頃)

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