1989年1月1日日曜日

メッセージのデザイン

まずはじめに、コミュニケーションの極く簡単なモデルを図示することにする。まず、送り手は自分の頭の中に、伝えたい内容を想起する。あるいはすでに想起されたイメージあるいはメッセージを受け手に対して伝えることを企てる。頭の中の内容を直接受け手とやりとりすることはできないので、メッセージは何らかの媒体(メディア)上に表現される必要がある。そして受け手は送り手によって表現された媒体を見る、あるいは聴く触れる。最後に受け手はそれを解釈して自分の頭の中にイメージを組み立てる。こうして簡単な一方通行のコミュニケーションは達成されたことになる、めでたし、めでたし。あらゆるデザイン活動や社会的な行為をこの単純化されたモデルにあてはめて見ることができる。企業は機能と共にある生活のイメージやメッセージを製品に託して(表現して)買い手に提示する。買い手がそれを良しとした場合売買が成立する。
しかし、このような単純なコミュニケーションと言えども、普通の場合それほどことは簡単にすまない。つまり、一般的に受け手のイメージ=送り手のイメージにならないということである。受け手にしてみれば自分の言っていることを相手が理解しないということであるし、受け手の側から言えば、あいつの話しはどうもよくわからないということになる。このように、どちらか一方がわかりあえていないと思うときはまだいいのだが、お互いわかったように思っていながら本当は通じあえていないことも良くある。そのやりとりを見ている第3者がハラハラしたりするわけだ。
なぜこのような不都合が起きるのか考えてみると、その理由には次のようなものがある。

1. 表現力の問題
送り手の表現が不十分なとき。送り手の頭の中にあるイメージとその表現がマッチしていない。(本人、気づいている場合と、いない場合とがある)

2. 理解力の問題
受け手の理解力が足りなくて、表現を自分の頭の中に組み立てられない。(やはり、本人、気づいている場合と、いない場合とがある)

3. メッセージの曖昧さ
そもそも、伝えるべき内容がはっきりとしていない場合。送り手本人はわかっているつもりでいるのだが、よくよく調べてみるとはっきりしない場合も多い。また特に、送り手が複数の人間からなりたっている場合(つまり、会社の企画部門とか)、各々考えていることが全然違うことよくある。

今特に問題にしたいのは、3.のメッセージが曖昧であるときのことである。さてここでもう一度、企業が物を作って市場に出すときのことを考えてみよう。デザイナーは立てられたコンセプトに添って製品の形をデザインする。(表現としてのデザインのレベル) デザイナーがいくら頑張ってもその商品は失敗することもある。もちろんデザイナーの表現能力不足ということもあるだろうし、コンセプトすなわちメッセージがあまりに時代に先駆け過ぎていて買い手が理解できないこともある。しかし、一番多いケースはコンセプトつまりその製品のメッセージが曖昧であることである。結局会社なり、社長なり、企画担当者なりに明確なイメージ(メッセージ)がないことが一番の原因である。あるいはイメージは持っているが本当に買い手の欲するイメージではないこともある。(その場合、買い手という不特定多数のイメージを企画者に理解する能力がなかったということである。つまり、市場を読み損なったということ)
しかし、現在インダストリアルデザインが行なっている作業は、図の「もの」から受け手への局面に向かい過ぎてはいないか。つまり、物をデザインの視点の中心に置き過ぎてはいないか。物そのものの形を操作(デザイン)することによって買い手がどういう感じを受けるのかということに注意が集中し過ぎていないか。デザインマップをつくって、この形だとユーザーは親近感を感じる(のではないか)、またはこの形によってユーザーは先端技術のイメージを持つのではないか。あるいはコンサバティブなユーザー層はこんな形を好むとか、クールなユーザーは...とか。
ここにおいて、欠けている視点は言うまでもなくメッセージを表現すると言う局面である。この中で表現力の問題に関しては個人の技量の問題というかまた別な次元の問題なのでここで述べることはしない。むしろ、メッセージが曖昧、はじめからない、あるいは間違ったメッセージであるとき。この場合デザイナーはどうすべきなのだろうか。
結論から言うと、今この時代のなかではもはや、われわれデザイナーこそがそのメッセージ自身を創造しなくてはならないということである。理由はいろいろある。世の中複雑化してきて、何が正しいのだか誰にもよくわからなくなってきているのだ。企画を10年やっているなんていったってわかりはしないのだ。そんな中で頭の中にあるイメージを外在化すること行なってきたデザイナー、売れるかどうかということからある程度距離を置いて何がいいものなのかを客観的に考えられる位置にいたデザイナー、それを形を作ることで検証してきたデザイナー。
まあいいか。とにかく、これからはメッセージを作る仕事を本気でデザイナーがやらなければならないのだ。考えてもみなさい。今の企画マンらに伝えるべきイメージなんてないか、あったってどうせ間違っているんだから、我々がやるっきゃないじゃないか。(中には本物の企画屋さんもいるかも知れないけれど、僕はあまりすごいと思ったことないなあ) なんだかんだいったって、結局はいままでだってデザインコンセプト等と言ってメッセージを作る仕事をしてきているでしょう。それだったらそのことに本気で取り組むべき時ではないかということである。
ユーザーのマップなんてものをクライエントや企画者のためにつくっていないで、かれらの示すべきメッセージを彼らにプレゼンテーションすべきである。会社はどちらに進むべきなのか、どういうメッセージをユーザーに発信すべきなのかをプレゼンテーションをすべきだ。もちろんそのためにはそれなりの勉強が必要だけれど。
少なくともクラエントにユーザーマップを見せて、パッシブかアクティブかなんてことを伺い立てても、彼らは迷うばかりである。そして必ずや間違ったディレクションを決定する。それより、あなたがたのいいたいこと(メッセージ)はこうなのではないか、あるいはあなたがたの言うべきことはこれである、ということをぶつけるべきである。
ここで必要なことが「見識」ということなのだ。我々は見識を売って商売しているといっていいと思う。見識があるとは価値がわかるということである。見識を売るとは価値を売るということなのだ。ここで価値とはメッセージである。例えば、「車は本来自由な物であって、自分が欲しいものは、本当はスペックなんてそれほどどうだっていいんだ。かわいければいいんだ。クルママニアに笑われたっていいんだ、自分が欲しいというものを欲しがることはかっこのいいことなんだ。」といったメッセージは車の持つ機能に負けないぐらい大きな価値になっていると思う。そして、デザインはもはや付加価値ではない。デザインは「機能」についたおまけではない。製品が持つメッセージは製品の機能と同等か場合によってはそれ以上の価値をもつといっていいと思う。メッセージをデザインするというのはこういったことである。

(89年頃)

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