2011年2月6日日曜日

Android-110206

今Androidが、熱狂的に受け止められている。よくわからないが、そうらしい。ここしばらくAndroidのスマートフォンXperiaを使用する機会があったので、印象と感覚を書き留めておきたい。たぶんもっとこのプラットフォームが一般的になってしまった後では、忘れてしまうだろうから、ここで第一印象を記しておくのも意味のあることだろう。
Androidにはとにかくインターフェース上の概念がたくさんありすぎる。どれも便利にしようとしてよくよく考えた結果のものだと思うのだが、初めて見たら迷宮のようでめまいがする。よくいう笑い話にこんなのがある。居間にテレビやビデオ、クーラーのリモコンがあふれて、どれがどれやらわからなくなってしまったので、統合リモコンでまとめようとしたら、結局はリモコンが一個増えただけだった。チャンチャン。
Androidは、とにかく便利にするために、考えられるものをできるだけ盛り込もう、という戦略のように見える。一つ一つが便利なものであっても、増やせば増やすほど複雑さは増す、ということは脇においといて。「シンプルに」というのは、ほとんどのデザインガイドのトップにうたわれる内容なのだけど、この辺はGoogleはどう考えているのだろう。シンプルさより便利さ、あるいは便利そうな名前のついた機能やしかけで使用者を誘うことの方が重要って感じなのか。
でも冷静に考えると、それもわからなくない。そういう方向でがんばらないと埋没してしまう、というか、実際に根本的なところでインターフェースとして見るべきものはないので、そういうことでしかアピールしようがないのだ、ということなのだろう。それにiPhone/iPadがある意味シンプルの極みの線で存在しているので、後発的には対抗上イロイロ盛り込み戦略しかとれない、ということのような気がする。
だから本来なら、Googleは根本的にiPhone/iPadと違うものを作るべきだったのだろう。Appleの土俵でない何か。でもそれこそ超難題か。
他にもハードボタンのことや、Androidのデザインガイドのこと、そのほか細かいいろいろなことなどあるのだけれど取り合えずここまで。

ここで述べていることは、インターフェースデザイン上のことである。足かせの多いAppleの開発の不自由さに辟易している多くの開発者やメーカーにとって、プラットフォームとしてはAndroidしか選択肢はないのだから、その自由度の中で製品をつくるしか道はない。この道はいつか来た道。MacintoshとWindows、iOSとAndroidはまったく同じ話をなぞるのだろうか。
(110206)

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