2012年1月31日火曜日

undesign


人がするすべての行動は無意識に向かっていく傾向がある。「思考の身体化」といえるかもしれない。スポーツにしてもいろいろな技芸にしても、頭で考えて体を動かしているようではその神髄には迫れない。何年にもわたる鍛錬や練習のはてに、思考が頭から体におりてゆく。それを目指してもいるし、自然にそういうふうに流れていくものでもある。意識して何かをすることの対価は大きい。
"unlearn"という言葉がある。人はどうやっても学びの中でしか生きられない。しかし学んだものすべてが、自分にとって何かしらよいものとはかぎらない。ときには身体化した学びを解きほぐす必要がある。この学びの解きほぐし、身について「しまった」ものを脱ぎすてることを"unlearn"というのだそうだ。それは学ばないことでもなく、学んだことをたんに忘れることでもなく、能動的な行為として学びの逆演算として「まなびほぐす」と訳されている。
その文脈をかりて、"undesign"を考えることができるのではないかと思える。直感的な思いつきではあるけど。もしかすると、ディータ・ラムスの第10ヵ条目は、このことにやや近いかもしれない。
ともかく、"undesign"というタームを自分の課題帳にのせることにする。
(実は知り合いの"undesign"という集まりの通知を見て、自分はこれだってひらめいたのだけれど、そういう意味ではないらしい。でも楽しそうだ。 http://learningdesigns.jp/LD/news.html )
(120131)

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