2012年1月27日金曜日

気分について


ここ二三日、少し気分がよい。-3~0~+3のスケールでいうと、+1くらい。
ここ数年だろうか、昔にくらべて「気分」をより強く意識するようになったのは。もちろん前から「気分」というものはあったのだが、それはつねにゆれ動くもので、自分が’体験するひとつひとつの事象にたいして、よくなったり、ひじょうに落ち込んだりするものであった。その時間的な振幅は、数分から数時間くらいの単位。しかし今の気分の波は、数日から一週間あるいは一ヶ月くらい振幅を持っている。もちろんその中に小さい波もあるのだけれど。
「気分」を意識するようになった直接の原因は、心配事や不安なことが自分の人生に少なくない部分を占めるようになったからなのだろう。そういう負の気分や痛みによって、正の気分もまたくっきりと形をもって意識できるようになったのだと思う。まぁ、遅すぎる成長ではあるが。
それから以前は、物事やあるいはその体験によって、自分の気分の方が左右されていた感じなのだが、今は逆に気分によって物事の見え方が左右されるという感覚である。つまり物事のとらえ方と気分の因果関係が逆転したということ。(だいたいの話ではあるけれど。)
もちろん自分の判断の元になる気分もまた、何かによってもたらされたものではある。個人的な事情や経験、または社会的、時代的な何かが醸成する風や空気のようなもの。
「気分屋」というのが、物事に敏感に感応してそれに極端に左右されてしまう気分の持ち主、という意味なら、自分は「気分屋」でないということになるのだろうか。
これはもしかすると、自分のかかわってきたデザインという職業がはぐくんできたものという気がしないでもない。デザインされたものを受け取る側の人は、それによって本人の気分が(できればいい方向に)左右されれば十分だ。一方、デザインを送り出す側は、自らの「確固たる気分」にしたがって、それが乗りうつって受け手に伝わるように、表現をまとめ上げなくてはならない。私はそういう枠組みのなかに自分自身をおいてきた。
(120127)

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