2011年8月14日日曜日

アナログに知る


「知る」という行為にはもっと「深さ」があると考えるべきなんじゃないか。たとえば味。何度も味わって、はじめて知るその本当のところの味の意味(?)というのはある。
アナログな行為、といえばいいのか。知るという行為の結果は知っているか/知らないかというデジタルな状態ではなく、無限の中間状態が結果としてあるような行為。
知っているかいないか、YesかNoか、それだけだったらつまらない。知っているということに関して、それは事実かそうでないか、私はそれに結論を出したくない。いつまでもそれは何なのかにこだわって考えつづけ、感じつづけていたいんだ。

(110814)

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