「インターフェースデザイン」というけれど、それはトートロジー(同語反復)なのだと思う。「デザイン」をするということは、「インターフェース」を調整することに他ならない。
インターフェース、つまり異なる系Aと系Bが出会うところにこそ問題が生じる。"差異" のないところに "調整" という概念も成立し得ない。
("差異" は、"価値" あるいは "意味" と同義なのであった。)("価値" を生み出そうとすることは、どうやって "差異" を作っていくかということ。)
その人を意義づけるものが価値観であるとするなら、それはその人の "差異感" とでも呼ぶべき物から生まれるといってよい。
その人が感じる違和感(悪い意味ではなく)、なんとなく違うと感じる感性、AとBとの微妙な味の違い、スパイスや塩や出汁の違いを言いあてること、そこからその人が生まれる。
(080410)
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