2011年12月12日月曜日

卒業制作について


教えている美術大学デザイン科の卒業制作最終審査会が終わって、もう彼らに何かを伝える機会がない、と思うと、あぁあれも言いたかった、これも言いたかったと思う。考えてみると去年も同じようなことを考えた気がする。でもまた、放っておけば忘れてしまう。ということで、今のうちにそれがどんなことかメモを残しておくことにする。

・工作に関して
工作が得意でない人がいて損をしている。教師はだいたいデザイン実践を経ているので、皆作り方はよく知っている。木材にしても金物にしてもデジタル制作についても。聞けば丁寧に答えてくれるかヒントをくれるはずだ。作り方は教えやすいので、よしきた、という感じ。ただし、何を作るのかはデザインする学生本人にしかわからないので、それはよく伝える。その上で作り方は興味を持って学んで欲しい。
自分は工作の精度自体は卒業制作において、第一義ではないと思っている。しかしどうやってモノが作られるのかを知っている、ということはデザイナーとして重要な能力である。だから、作り方を知らないためにうまく作れないのは問題である。作り方を知っているけれど、自分の手が器用でないのでうまくない、というのはしかたない。とはいえ、学生の場合たいていは作り方を知らないのだけれど。

・アイデアを先行させる
これは何度も言っていることだけれど、なかなか実践されない。コンセプトを立ててからアイデアを出すのでは遅いと思う。出たアイデアをくくるものがコンセプトである。ここでいうアイデアは、具体的な完成イメージの断片のようなもの。アイデアスケッチに描かれる内容である。しかし本来的な意味でのアイデアスケッチは、ほとんど描かれていないように見受ける。
はじめにイメージありき、であるべし。

・何がやりたいのかは自分に訊く
自分のやりたいことは、自分に訊くしかない。やるべきことを理詰めで追ってもたぶん、おもしろくない。だからそれは感覚的な発想でよいと思う。
ただし本当にやりたいことなのかどうかは、途中で何度も何度も自分に対して問わなければならないだろう。
本当に学生がそれをやりたいのかどうか、を教師は測っている。うわべだけの「やりたい」は、だいたい教師にはばれる、というかその点は教師は敏感である。

・チャレンジする
作品にせよ発表にせよ、私にとって一番印象がよくないのは、「なめた態度」である。「世の中こんなもん」と高をくくったもの。この程度でよい、ということを自分は知っている、と思っていること。
自分はこれを知っている、ということを、そもそもやってもしかたない。
できればそれが価値があるのかどうかよくわからないけど、惹かれるものやこと、にチャレンジしてほしいし、そういうチャレンジこそが卒業制作でやるべきことだろう。それをするために多くの時間をとっている。

ひとまずこんなところかな。また思いついたら書く。
(111211)

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