知人の家で飼い始めたシェルティーの小太郎は、散歩デビューに失敗したそうだ。いつも二階のベランダから外を見ているのに、抱かれて表に出て地面に降ろされた途端に固まってしまい一歩も動けなくなってしまった。
これは人間である私の勝手な想像だけれども、彼とて二階のベランダから眺める世界と、自分がそこに立った世界を違うものと考えたわけではないだろう。ただ、いざその場に立ったら、新しい足下の世界を自分の中にどう位置づけたらいいのかわからなくなって、混乱してしまったのだろうと思う。
前に10階以上の高層マンションに、生まれてから10歳過ぎまで過ごすと、人格形成上の問題が生じるといったことを聞いたことがある。(数字や細かい話はまったく定かでない。) マンションの階上から俯瞰する図面的な世界、それは現実世界の写像である。しかしその写像の瞬間に、はげ落ちてしまった微少な部分に何か大切なものが、潜んでいたんじゃないだろうか。
私たちは、デザイン活動の中で「俯瞰」する視点の大切さを幾度となく話してきた。しかしそれはあくまで、そこに立って実際に世界を生きてきた人を前提にした言い方だったのだと思う。世界を生きる前に、地図を得ることは安全ではあるかも知れないけれど、体験という大切なものの純度を損なうことも意味しているようだ。
(101019)
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