2007年1月15日月曜日

工学とデザインについて

方法が定式化されなけば工学ではないという。
すくなくとも方法論を定式化しようとしなければ工学にはならないと言われた。
知り合いの(ハイレベルな)ソフトウェア・エンジニアも同じようなことをいっていた。「誰がやっても同じ高さのレベルが達成されるやり方がよいやり方であって、我々はそうしろと教えられた」そうだ。それは私が、「使う人ごとに違う結果が得られるようなツールを作りたい」と言ったことに対して、おもしろがって笑いながら答えてくれたことだった。
まぁ、工学がそういうものである、というならそれはそれで結構なことだと思う。しかし私がデザイナーとして目指しているのは、とにかくよいものを作り出すということがあるだけなんだ。方法として確立されているか、あるいは確立することができるかは、どうでもいいことで、とにかく与えられた条件の中で(ときには条件を疑いながら)ベストなものは何なのかを追求しようとしている。デザインの態度とはそういうのものなのではないかと思う。

しかし、もし工学が本当に記述することができない方法を排除するとしたら、おかしなことだと思う。本当に優れた工学者や、たとえばセンスのよいソフトウェア・エンジニアというものは、いったい何だというのだろう。最終的にはそういう人達のやり方を解析、分析して方法論化するのだから、「方法論化されていないすぐれた方法」は、工学にとって宝の種、なのではないかと思う。
それはセンスだから、と言い捨てるのはいったいどういうことなのだろう。

デザインがセンスに頼っているとしても、出した答えが正解であるなら、それはいつかはセオリーになる、ということは、私にとっては火を見るよりも明らかなことのように思える。

デザイナーはもっとリスペクトされていいんじゃないか?
(070115)

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