2007年1月19日金曜日

何かを変えるということ

人が生きるということは、世界に影響を与えてそれを変えるということ。あるいはそこに足跡を残すということなのだろう。
しかし自分の中に、世界をまったく変えずにそのままにしておきたい、という気持ちがある。いったいこれは何だろう。
(070119)

2007年1月15日月曜日

工学とデザインについて

方法が定式化されなけば工学ではないという。
すくなくとも方法論を定式化しようとしなければ工学にはならないと言われた。
知り合いの(ハイレベルな)ソフトウェア・エンジニアも同じようなことをいっていた。「誰がやっても同じ高さのレベルが達成されるやり方がよいやり方であって、我々はそうしろと教えられた」そうだ。それは私が、「使う人ごとに違う結果が得られるようなツールを作りたい」と言ったことに対して、おもしろがって笑いながら答えてくれたことだった。
まぁ、工学がそういうものである、というならそれはそれで結構なことだと思う。しかし私がデザイナーとして目指しているのは、とにかくよいものを作り出すということがあるだけなんだ。方法として確立されているか、あるいは確立することができるかは、どうでもいいことで、とにかく与えられた条件の中で(ときには条件を疑いながら)ベストなものは何なのかを追求しようとしている。デザインの態度とはそういうのものなのではないかと思う。

しかし、もし工学が本当に記述することができない方法を排除するとしたら、おかしなことだと思う。本当に優れた工学者や、たとえばセンスのよいソフトウェア・エンジニアというものは、いったい何だというのだろう。最終的にはそういう人達のやり方を解析、分析して方法論化するのだから、「方法論化されていないすぐれた方法」は、工学にとって宝の種、なのではないかと思う。
それはセンスだから、と言い捨てるのはいったいどういうことなのだろう。

デザインがセンスに頼っているとしても、出した答えが正解であるなら、それはいつかはセオリーになる、ということは、私にとっては火を見るよりも明らかなことのように思える。

デザイナーはもっとリスペクトされていいんじゃないか?
(070115)

無意識(あるいは無自覚)な知識とは

使用性を語るときには、ふつう自覚的な知識しか問題にしない。しかし実際には自覚しないで知っていることに、行動や判断は大きく左右されている。
デザインにおいては、そこまで考えて行わなければならない。
(070115)

2007年1月9日火曜日

比喩の力

JFKが講演の中で、大衆にとって厳しい政策を説得させる時に次のように言った。
「屋根を修理するのは、晴れた時だ。」(雨が降ってから修理するのでは遅い。)
こういう比喩は非常に説得力がある。
言い訳じみた甘言を弄して下手な説明をくどくどするよりも、よほど正確だし状況を共有しやすい。
そのような状況に対する理解と言葉遣い(表現)ができるようになりたいものだ。
(070109)

生はバラエティを好む

他人と同じであるということを、どうして指向するのか? (ランキング東急)
→ 近視眼的なミクロの話
「生きているものは、バラエティを好む」(by me)
----
デザインすべき方向を計算(コンピュータ)によって求めようとする動きがデザイン界の中にもある。しかし原理的にいって、あまりおもしろみのない話だ。(1)「計算によって、導かれた」という事実自体が、好みに作用する可能性がある。 そして(2)究極的にいって計算で出された解を人の好みは否定するであろう。なぜなら、生きているということが、バラエティ(ちがっていること)を指向するから。それが生き物としての戦略だから。同じものをえらぶことは、停滞すなわち”死”を意味している。
(070109)

問いについて

多くの問題は問題を規定する段階、問題を特定する段階で行き詰まる。
あるいは多くの解が問いを同定せずに提示される。したがって、多くの反論や議論は問いとは何か、というレベルで行われることになる。
むしろ、問いに対する答え、という図式をこそ疑うべきなのかも知れない。