「何かを考える」ということ、それはとても不思議な行為だと思う。たとえば、「今日ランチしながら大切な議論をしたなぁ、デザインという営みは、他の人間活動や社会活動の中でもとりわけ重要なものなのに、どうして世の中の多くの人にそのことが理解されないのだろう、ああいう事例も、こういう事例もあるし、...あっ、たとえばこんな言葉で表したら、それはうまく伝わるかも知れない、...いや、それだとこういう誤解をが生じるかもしれない、けれど...。」私が、考えているっていうのは、こんなふうなことだ。
何かを考えねばと思って、すべての雑事をかたづけて、机に座ってリラックスした状態で、いざ考えようとすると、雑念の風が吹き荒れる。(今のちょうど外で吹いている強い風のように)
私の場合、考え事にもっとも適しているのは、朝シャワーを浴びているときなのだが、他には皿洗いをしているときとか、打ち合わせ先から帰る電車の中で景色を眺めながらとか、歩いているときとか。つまり何かの、それほど重要ではないが、かといってまったく無為にしていいわけでもない用事をしながら、というのがいい。だから「歩く」というのも、散歩のようにどうでもいい歩きよりも、どこからかオフィスにもどる帰り道などがちょうどよい。往くときはだめ。そういう意味では、シャワーも何もすることのない日曜の午後にゆったり浴びるシャワーはだめで、ウィークデイの朝、時間の限られたシャワーがよい。それからどれも、もちろん一人でいることがもっとも重要だ。
私はこれを皿洗いの法則と呼んでいる。「私はそういう大切なことを、皿洗いしながら考えた。」
(100401)
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