「テレビ電話」という機器は長らく典型的な夢の未来の機械だったと思う。10年ほど前にドコモのFoma一号機が世に出て、それは現実のものになり、今では多くの人が実際にその機能をポケットに入れて歩いている。そして使うことになんの支障も見あたらない、にもかかわらず、誰一人としてテレビ電話を使っていない。使っているのを見たことすらない...。
ものの有効性と「使用されること」の間には、まだ私たちには認知しにくい大きな溝が横たわっているように思える。私はいろいろな機器や機能、サービスを提案する側にいるが、未来の機器の提案の難しさを思わざるをえない。もちろん今では「テレビ電話」を使わない理由を列挙することができるが、私は「テレビ電話は実現できても誰も使いはしないだろう」と予言できなかった。
そして今や、世の中はSkypeの時代である。誰もテレビ電話の機能なんか使わないさ、というのは簡単だが、相変わらず私はそう断言できない。もしSkypeが私のクライアントなら、私は何とかして使わせるような解はあるはず、それを解く1ピースはどこかに存在していると信じることからはじめるだろう。ブレークスルーはいつだってそうやってなされたことを私は知っているから。そして散っていった幾千のアイデアもあったことも。きっとアイデアは生み出せると思う。と、そんなことを最近考えた。
(090414)
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