2009年4月26日日曜日

使用者の幻想

ユーザーインターフェースは、使用者の目の前に現れる「インタラクティブな現象」ととらえることができる。使用者は与えられた現象のみからすべてを理解しなければならない。使用者側からみると、現象とは目に見え、耳に聞こえ、手で触れることなどの五感によって看取されるものであるが、作り出す側から見るとそれは一つの「表現物」ということになる。またそれは実際の機器の内部状態とは必ずしも一致しない。Alan C. Kay は、これを使用者の幻想(Illusion)と呼んだ。
(090426)

2009年4月14日火曜日

テレビ電話

「テレビ電話」という機器は長らく典型的な夢の未来の機械だったと思う。10年ほど前にドコモのFoma一号機が世に出て、それは現実のものになり、今では多くの人が実際にその機能をポケットに入れて歩いている。そして使うことになんの支障も見あたらない、にもかかわらず、誰一人としてテレビ電話を使っていない。使っているのを見たことすらない...。
ものの有効性と「使用されること」の間には、まだ私たちには認知しにくい大きな溝が横たわっているように思える。私はいろいろな機器や機能、サービスを提案する側にいるが、未来の機器の提案の難しさを思わざるをえない。もちろん今では「テレビ電話」を使わない理由を列挙することができるが、私は「テレビ電話は実現できても誰も使いはしないだろう」と予言できなかった。
そして今や、世の中はSkypeの時代である。誰もテレビ電話の機能なんか使わないさ、というのは簡単だが、相変わらず私はそう断言できない。もしSkypeが私のクライアントなら、私は何とかして使わせるような解はあるはず、それを解く1ピースはどこかに存在していると信じることからはじめるだろう。ブレークスルーはいつだってそうやってなされたことを私は知っているから。そして散っていった幾千のアイデアもあったことも。きっとアイデアは生み出せると思う。と、そんなことを最近考えた。
(090414)

2009年4月11日土曜日

デザインについて

「デザイン」とは、何事につけ、物事がうまく運ぶように按配することなのだと思う。
週末に行うホーム・パーティーがどうやったらうまくいくかに考えをめぐらすこと、来年度に売り出す新製品の形や機能考えること、キャンペーン用の効果的なポスターを考えること、日本という国の行く末を考えて、実効性のあるアイデアを考えること、これらはどれもデザインと呼んでいいと思う。
この場で究極的にやりたいこと、それを簡単にいうと、自分なりにもう一度デザインを定義することなのだが、上で述べた宣言と例示は、まさにその出発点となるものである。
(090411)