2006年3月18日土曜日

ユーザーインターフェースの装飾

最近はやりのソフトウェア開発のデザインパターンの本の中で、「ユーザーインターフェースの装飾」という言葉が使われていた。これは少々気になった。
「装飾」ととらえる認識自体が間違っていると思う。ソフトウェアがなんのためにあるのか、ということに関して私とは立ち位置が違う。
現在においては、ほとんどのソフトウェアは使用者に「使われる」ものである。使用者とのインタラクションによって結果、成果を出すということが、ソフトウェアの存在意味である。(科学計算などの一部のソフトウェアを除いて)
この本の文脈の中では、「装飾は本来ソフトウェアには不要なものであるが、人間とインタラクションしなければならなくて、一部の使用者が個人的な趣味で望むことがあるのでしかたなく装飾の存在を認める、少々下等なソフトウェア要素である。」というようにひびく。
ソフトウェアにおいて(そのほかの機能体においても)、機能性のない要素は不要であると私も考える。しかしインターフェースは、機能(存在意義)を持つものだし、装飾もそれはそれで機能を持つ。それらは、存在自体が機能をもつのではなく、存在の「質」において機能性を発揮させるものである。つまり出来がよければ飛躍的に全体の機能を向上するし、出来が悪ければマイナスにも働く、ということだ。


現象論的にソフトウェアをとらえることは、彼らが考えるよりは重要だと私は思う。

(060318)

0 件のコメント: