1990年9月27日木曜日

価値

「価値」とは「意味」であり、「意味」とは「差異」である。

また、価値とは全面的に人間に属するものである。すなわち、人間を離れては存在しないものである。―――もちろんある宇宙人の価値というものもあるかも知れないがそれはその宇宙人の価値である。
それでは、犬にとっての価値とは。食物であったり、子孫であったりするのだろう。
犬というのが恣意的な存在かどうか良くわからないけど、恣意的であれば恣意的な価値が、またそうでなければ非恣意的な価値をもつのだろうが、人間のそれとは異なる。
つまり、価値とはその主体によって異なるということである。人間一つとっても人種、民族、年令、性別その他もっと些細な分類によって「価値」は異なる。
普遍的な「価値」は存在するのだろうか。私はしないという立場を取る。

こういう意味において科学は価値を扱わない。

(900927)

デザイナーの持つべき資質について

デザイナーが持っていなければならないのは、形状に対しての美意識だけではない。むしろ、それはほんの一部でしかない。

自意識
自分が何を感じているのか、何をしているのか、を知っていなければならない。あるいは、自分がいま感じていることは何なのかという自意識がなければならない。自分がいま行なっていることはどういう事なのかということに関する意識がなければならない。
つまり、漫然と美しい形を追い求めるのではなく、美しい形を追い求めるその気持ちとは一体何なのかという事に関する意識がなければならない。芸術家はそうでなくてもよいかも知れない。ただひたすら自分の美意識を表現できればよいだろうし、それが何なのかを知る必要も説明する必要もないかも知れない。それが芸術家とデザイナーの違いと言ってもいいかも知れない。―――「美しい」といったのは一つの例であって時代性とかそういったものも含めてのことである。

ユーザーインターフェースのデザイナーには特に今行なっていることの、行為に対する自意識が必要だろう。
この自意識は、行為に対する一般性を獲得するための手段である。その行為が一般的にどういうものなのかを知るために自分のそれに感覚を研ぎ澄ますという事である。

ある行為がどう言うものなのかを知れれば、自意識はいらないとも言える。

conciousness

(900927)

1990年7月11日水曜日

デザインとコンピュータについて

私達は今、新しいデザインを展開しようとしている。その要求は私達の側にあるのではなく、社会の側にある、というのが私の認識である。もちろん、そうしたいという欲求が自分の中にあることは喜んで認めるところである。
その裏には、今までのデザインではだめなのだというアンチテーゼがあるのは言うまでもないことである。今までのデザインとは何で、それのどこがどうだめなのかということに関して、言及することは(あとでも述べるが)容易なことではない。というか、言葉で説明しようとすること自体に不可能性があるということがある。
といっていてもも始まらないので、いくつかのキーワードを通して、私の考える新しいデザインへのアプローチを試みてみたい。

1. コンピュータ
それへの理解なくしてはこの新しいデザインは理解できない。もちろんここで言っているコンピュータの理解とは、コンピュータの原理を理解するということではなく、コンピュータの本質を理解するということである。
もう少し引いた言い方をすると、コンピュータの本質を理解できるような感性を持っていなければ、このデザインを把握できないということなのだ。つまり、コンピュータの本質の理解がこのデザイン理解のバロメータになっているということである。コンピュータの本質を理解することとこの新しいデザインを理解することが極めて同質の問題を含有している。

2. メタ・デザイン
デザインという行為は、デザインするということがどう言うことなのか、あるいは「デザインするという行為やその思考」そのものをデザインするという自己言及という側面を持っている。このような再帰的な問題意識を持っているところにデザインの本質的なパワーがあると私は見ている。昨今、あらゆることにデザイン的なアプローチが叫ばれていることの裏にはこのメタ・デザインという構造的なパワーが要求されているのだと、今私は気づいた。

3. 問題意識
これは、最も重要なことである。現在の(旧来の)デザインにおける問題意識とは一体何だったのだろうか? デザインによって一体何を解決しようとしているのだろうか。問題は何だ? アメリカにおいては「デザイン」は「問題解決のための総合的なアプローチ」と捉えられている。まず、問題を認識できなければ解決しようもない。再度問う、問題はどこにあるのだ。デザインしたことによって解決したことは何なんだ。

4. マクロな視点
ミクロな視点も重要だが、ここで問いたいのはマクロな視点である。デザインが新しくなるというその変化は非常に大きなものである。決して流行的な一次的な変化ではなくデザインも含めた精神活動、思考活動における地殻変動的な変化である。あまりに大きすぎてほとんど目に見えないぐらいである。ほとんど視覚的に(あるいは言葉や論理=ロゴス)捉えることが不可能になっている。この変化を言葉で伝えることが困難であるというのはこういった理由による。小さい変化の積み重ねが、決して大きい変化ではない。(部分の総和が全体ではない。)

※コンピュータの定義(私が考える)
コンピュータ≠計算マシーン
コンピュータ≠省力マシーン
テクノロジーが進化してきて、いま人間の感性や思考に直接アクセスしようとしているのだ。何故か急にそれが可能になりそうなのだ。あるいは急にそれができることに気づいた。そのようにテクノロジーによって人間の感性や思考に直接タッチしてくるものを私はコンピュータと呼んでいる、と思ってもらってよい。別に今あるこのコンピュータの仕組みや形にこだわるつもりは更々ない。(もちろん、私にとってのとっかかりはこの機械としてのコンピュータであったが、もはやそんなことはどうでもよいことだ。)
曰く、コンピュータ=メディアである。(他にもあるかな?)
したがって、いま私達デザイナーに求められていることは、感性とは何か、思考とは何かというメタ感性、メタ思考を研ぎすますことなのだ。感性を感じる感性、思考を考える思考、それを常時持ち続けなければこのコンピュータ時代をデザインすることはできない。

※私の問題意識
上記コンピュータ定義に基づく、「コンピュータが人間の感性や思考を飛躍的に拡大するのだという認識」がまずあり、
A. こういった感性拡大マシーンであるコンピュータによって人間がハッピーになれるのだ。
B. そのことに、デザイナーを含めた多くの人が気づいていない、理解していない。
C. この感性拡大マシーンであるコンピュータを完成させるには、デザイナーが不可欠であるが、B.以上に理解されていない。
D. 実際にどうすればこのマシーンを完成させることがきるのかということに関する思考方法、方法論の模索。

(900711)

1990年5月1日火曜日

ハイパーメディアについて

ハイパーメディアについて(T美大の講師の原稿)
近年のコンピュータを中心とする情報機器の様々な発展の中で、とりわけホットな課題としてハイパーメディアという概念がある。逐語的な解釈としてはメディアを越えたメディアということになるが、ハイパーメディアは次のような特徴的な点を合わせ持っているものとして一般に認知されている。

1. ノンシークエンシャル―――情報の関係の自由度
これまでの特に紙を中心とするメディアに対してノンシークエンシャルな情報を扱える。すなわち情報は一次元的に配置されるのではなく、時にはツリー構造的、ネットワーク的に配置される。また情報間の関係は利用者が自由に決定できることも重要な要素である。
(追加920117)ここにおいて、関係そのものが情報である。またこの関係情報は、内容そのものを第一次の情報とすれば全体の中ではメタ情報となる。

2. インターラクティブ―――情報の参照の自由度
特にハイパーメディアが目指すのは利用者の自由な情報の参照であるが、ここで問われるのが機械と利用者のインターラクティブな関係である。すなわち時々刻々変化する利用者の要求を機械がうけとめ、適切な判断をして情報を呈示できることである。

3. マルチメディア化―――情報の表現の自由度
通常、同時に文字情報に加えてビジュアル(絵、動画など)情報、サウンド情報なども扱うことができる。つまり、表現的にも大きな自由度を持つということである。

これらは情報の載るメディアの自由度を拡大することによって利用の深さ、広さを増してゆこうとすることと言い換えることができる。従って、次のような図式が成り立つ。

ノンシークエンシャル ――― 情報の関係の自由度
インターラクティブ  ――― 情報の参照の自由度
マルチメディア化   ――― 情報の表現の自由度

メディアに様々な自由度を持たせようというのは利用者側としては当然の自然な欲求である。しかしこういった指向の中で問題になってくるのが、情報をどう構成し提示するかである。利用者の利用の自由度が増し、表現的にも様々な可能性をもってくるに従って、そして見る側に大きな自由は与えられたことによって、それを作る側に多大な負荷がかかってくる。メディアが進化すれば、そこに載せる情報を作ることも進化しなければならない。このような局面の中で情報構成におけるデザインの役割が大きなものであることは自明のことといってよいと思うが、また同時にこの問題に打つべき手段、理論がデザイナー側にほとんどなく、問題を認識したに過ぎない地点が現在であるように感じる。


関連キーワード
ハイパーテキスト
シークエンシャル

(900501)