人間中心にデザインを進めるということは、人間をよく観察するということにつきる。ユーザビリティのテストといっても、最後は人間観察に行き着く。
そして人間観察において重要なことがあるとすれば、それは自分自身を内省することなのだと思う。どんなに子細に使用者の言動を記録したところで、その言動が本当に何を意味しているのかを読み解く辞書は自分自身の内省によってしか得られない。この辞書を人から人へ教え伝えることも、またとても困難なことであるように思う。その辞書は、その人の生き様にストレートに関わるっていることだから。
被験者に、今何を感じたかを問うのはよいが、そこで得られた被験者の答えは、これこれの問いにこれこれの被験者はこう答えた、という客観的な事実の記述でしかない。被験者がそのように感じたと発言したことと、被験者がそのように感じたことを、混同してはならない。カスタマが欲しいと声を上げるものと、カスタマが本当に欲しいと感じているものとは基本的には一致しない。
犯罪者の自白は、証拠として採用しない、という考えがあると、ある弁護士から聞いたことがある。あくまで客観的な証拠によってのみ立証をするということであるらしい。
私たちデザイナーは特に、自分がこのように振る舞っていることには、どういう気持ちが潜んでいるのか?
こういう気分のときには、どう振る舞っていたいか、それらに人一倍敏感になるべきだろう。
(100209)
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