自分を知るというのは、頭が遅ればせながら体に追いつくということ。
デザインにおける知とは、頭が遅ればせながら体に追いついてそれを追認するということなのである。
多くのことを体はすでに知っている。というか、むしろ頭で知ろうとするすべてのことは、体のことなのだ。
「納得」できるのは、すでに体がそれを知っているから。(体が知らないことを、頭は「納得」できない。)
脳が見る前に、眼が見なければならない。あるいは耳が「見」なければならない。
「補色」:
たとえば、ある色を見せられてその補色(反対の色)は何か、と問われても、色彩について学んでいなければふつう即答はできない。しかしその色の色面をしばらく凝視したあと、パッとそれを隠せば自然にその補色が目に浮きでてくる。つまり体は「補色」を知っているということだ。
(080128)
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