2011年1月9日日曜日

デザインという行為

先日久しぶりに会った旧友、彼女はかつてグラフィックデザイナーだったが、今はデザインはしていなくて、たまたま手伝いではじめた老人介護に生きがいを見いだしつつあるという。彼女によると、介護という現場のいろいろな局面で「デザイン」が関係しているという実感があるそうだ。聞いたことを私なりにまとめると(だから彼女の思い通りではないかも知れないが)、それは介護の仕方にデザイン的な工夫がもっとできるはずだ、とかもっといろいろなシステムをデザインすべき、といったことではなく(それはそれで大いに意味があると思うけど)、もっと人として根源的な、簡単なものを作ったり、作業をしたり、計画をしたり、といった生き甲斐というか、人が人を楽しむことに直接結びついている部分と「デザイン」という行為が繋がっている、ということと私は聞いた。
なんとなく漠然と思っていたことをはっきりと指摘されたような気がした。デザインが何をしなければならないかという視点の手前に、人が生きていることとその中から生まれた行為の一つの型・パターンとしてのデザインが当然繋がっているという事実があることを忘れないでいたい。
デザインされたものが、かっこいいとか、使いやすいとか、というその以前にデザインすること自体が楽しいということ。

※これらのことは自分自身の中では「デザイン」と呼んで既に定位していることで、たぶん圧倒的少数のわかる人にはわかるかもしれないが、きっとこれじゃ説明不足なんだろうな。
(110109)