2007年4月18日水曜日

現象と印象

デザインは現象とそれが引き起こす印象との関係を調整すること。
ふつうの状況では、人はある現象に相対したときに、ある印象を持つ。
しかしデザイナーがしなければならないことは、未来において人がある印象を持つように、現象を創り出すことである。

ここでいくつか困難なことがある。
第一に、ある印象を引き起こす現象は無数にあること。そして、印象は現象とセットになっているので、現象をさしおいて、どういう印象を与えるべきかを議論できないということ。これはデザインでいえば、ある対象のデザインを考えるとき、コンセプト(=与えたい印象)は、アイデア表現(=作るべき現象)とともにあるので、アイデアスケッチなしで、コンセプトを議論できないということ。あるいはアイデアスケッチを使って「しか」コンセプトが議論できない、ということ。つまり、アイデアスケッチというのは、コンセプトを語るための言語であるということだ。
なんについてもそうだけれど、メディア(ことばとか、アイデアスケッチ)なしでは、概念を語れないということだ。
もしかすると、概念がことばに先立つ、という観念がそもそも違っているのかも知れないという気もするが。

(070418)

機能と構造(100311)で、まったく同型の議論を展開している。
(100314)

2007年4月12日木曜日

分析と統合

工学や科学の手法は分析(analysis)的で、細かく物事を分けて理解し、そしてデザインは統合(synthesis) である、ということになっている。
しかし何故、統合の科学というものがないのか?(あるのかな?)
デザイナーはできるだけ大きな絵を描こうとする。すべてが含まれるように。
(1)デザインは、全体を扱おうとする。
(2)デザインは現象を扱おうとする。
どちらも本質的な部分と思うが、それらの関係は?
(070412)

2007年4月1日日曜日

ノーマンの批判

ノーマンをはじめとしたユーザビリティの専門家たちは、既存の製品を批判することが好きである。何となくその物言いに、敵対心のようなものが私には感じられるが、彼らの読者には、そういった毒も受けているようだ。
でも、ドアの取っ手が引くようにみえるとか、押すように見えるからダメだとか、確かに使い手を惑わせるような形はよくないが、デザイナーであればそういったことには気づけて当たり前なことであるような気がする。
もちろん、気づけずに失敗することもあるだろうけど、デザイナーは早くこのようなレベルから先に進んだ方がよい。もっともっと大きなことをデザイナーはやっていると私は思う。いわれてへこむ必要なんかぜんぜんないと思うな。
(070401)