言葉あるいは概念には次のような傾向があるように感じる。
個人的に、流行語やはやりの言い回しを使うことは好きではないしどちらかというと、意識的に避けている。しかしある言葉が流行ると、その言葉で表されるシーンや実態が増えるような錯覚におちいる。
たとえば、最近「だだもれ」という言葉が、一部で流行っている。何かが漏れっぱなしになってしまう状況を表す言葉だが、その言葉が使われ出すと、そう言って表現すべき状況が流行に乗ってくる。(先日、T大のメディア論のM先生が朝日新聞の中で使っているのには笑えた。)
これは、たぶんその状況を感じる感覚の回路が開かれて、さらに反応しやすくなるのだと思うが。
(100706)
2010年7月6日火曜日
2010年6月24日木曜日
あけたことのない扉
まだあけたことのないこの扉をあければ、
まだ飲んだことのないこの薬を飲めば、
まだ一度も話をしたことのないあの人と話をすれば、
まだ行ったことのないあの駅のホームに降りたなら、
いつも話しているあの人と、一度も話したことのない話をすれば、
まだ見たことのないあの湖のほとりで足を浸せば、
まだ人がその影すらも識らない星についたら、
この砂丘のむこうに広がっているだろう海がみえたら。
それを阻んでいるのは、自分の心なのだと私は知っている。
(100624)
まだ飲んだことのないこの薬を飲めば、
まだ一度も話をしたことのないあの人と話をすれば、
まだ行ったことのないあの駅のホームに降りたなら、
いつも話しているあの人と、一度も話したことのない話をすれば、
まだ見たことのないあの湖のほとりで足を浸せば、
まだ人がその影すらも識らない星についたら、
この砂丘のむこうに広がっているだろう海がみえたら。
それを阻んでいるのは、自分の心なのだと私は知っている。
(100624)
2010年6月21日月曜日
バカボンのパパは天才なのだ
バカボンのパパは天才なのだ。あの歳で(って、いったい何歳なのか知らないが)「これでいいのだ」と言えるところが。歳を重ねると自然にこれでいいのだと言えるようになるものだと思っていたが、それは違っていたのだ。いろいろなことが逆にこれでいいのだ、と言えなくなってきたような気がする。昔よりも、様々なことの詳細がわかってきたとは言えると思うのだが、全体としてそれ故に言い切れなくなってきた。
もっともっと歳を重ねれば、道は開けるのでしょうか。まだまだ足りないんですね?
(100621)
その後の調査によると、バカボンのパパは41歳だそうです。
(110204)
もっともっと歳を重ねれば、道は開けるのでしょうか。まだまだ足りないんですね?
(100621)
その後の調査によると、バカボンのパパは41歳だそうです。
(110204)
2010年6月15日火曜日
考えよ!(学生に)
「考える」ことは、最重要な行為だ。考えないことがカッコイイだなんて、夢にも思わないこと。もっと、もっと、もっと考える必要があると思う。
「感じる」ことは、特にデザインにとっては大切なことだ。しかし感じるように「努力」することは、実はむずかしい。感じることは、いわば不随意筋の仕業なので、力んでみても感じるようになるとは限らない。しかし考えることはがんばれる。そして考え続けることによって、感じることの回路は開かれうる。体験をし、考えを重ねることによって、感じられるようになる。体験を決心するのは、考えることによってのみではないか?
「仕事」というものには、実は二つしかないのだ。つまり体を動かすか、頭を使うか。あるいは両方か。ここにある物を、実際に体を使って何とかしてあそこに運ぶか、あるいは何をいつどうやって運ぶのかを考えて運ぶことを「決める」か。
(100615)
「感じる」ことは、特にデザインにとっては大切なことだ。しかし感じるように「努力」することは、実はむずかしい。感じることは、いわば不随意筋の仕業なので、力んでみても感じるようになるとは限らない。しかし考えることはがんばれる。そして考え続けることによって、感じることの回路は開かれうる。体験をし、考えを重ねることによって、感じられるようになる。体験を決心するのは、考えることによってのみではないか?
「仕事」というものには、実は二つしかないのだ。つまり体を動かすか、頭を使うか。あるいは両方か。ここにある物を、実際に体を使って何とかしてあそこに運ぶか、あるいは何をいつどうやって運ぶのかを考えて運ぶことを「決める」か。
(100615)
2010年4月10日土曜日
使用者の成長
iPhone OS 4.0 は、マルチタスキングやフォルダを実現する。この進化はまっとうなものといえるが、今さらという感じもしないではない。その操作方法は、正直にいってあまりシンプルなものでも自明なものでもない。もっといえば納得がいかないというか、本当にこれがベストなの? っていう感じ。この操作方法が iPhone 誕生時に載っていたら、もしかするとここまで iPhone は、普通に受け入れられなかったような気もする。
結果的には、iPhone にはすでに世界中に多くの私を含む使用者が存在していて、少々複雑で奇異な作法に対する下準備ないし学習が完了しているので、おそらくこの受け入れは通過するものと思われる。すでにこのギャップより、マルチタスキングの効用が勝るところに使用者はもって行かれてしまっている。マルチタスキングというごちそうのおあずけ状態が、少々の困難な操作方法をも乗り越えてしまうパワーを蓄積させたといえるのかもしれない。これをはたして、使用者の成長と呼んでいいのだろうか? 少々複雑な気持ちだ。
ただ冷静に考えると、マルチタスキングもフォルダも、こういった小さな機器ではシンプルな操作とはなり得なかったのかもしれないとも思う。だからこういった進展をたどることが必然だった、という見方もできる。もしこういったことを見越して Apple がそういう戦略を採用したのだとしたら、これは恐るべきことだ。
がしかし、やっぱりそうではないのだろうな。なぜなら、はじめからマルチタスクなりフォルダに関する操作のことをとことん想定していたら、初代=現時点の操作作法をそもそも採用していなかっただろう。それらの高等なことはとりあえず置いといて、その時点で受け入れられアピールするシンプルな操作をとにかく実現したのだろう。それはそれで正しい判断であったと私は思うが、それがベストない感の理由でもある。
(100410)
2010年4月9日金曜日
以前と以後
iPhone OS 4.0 発表。あらためてスティーブン・ジョブズ凄いと思う。よく考えて見て、Apple I から一度も、そして一分もぶれていないことがわかる。iPhone そしてもちろん iPad も彼が提案しているのは、一貫してパーソナル・コンピューティングのあるべき姿なのだと思う。iPhone は、けっして賢い電話ではなく、まさしくコンピュータの一つのカタチなのだ。さらにここまできて、彼のこれまでの一つ一つの行動にほとんど無駄なものが含まれていないことにも驚く。NeXT も iPod も、すべて今現在の生きた製品につながっている。(ちなみに Newton は、スカリーの製品だし、いろいろなダメな Mac は、アメリオやスピンドラーの作だ。)
コンピュータが、ディスプレイとキーボードがついたものと、いったいいつ誰が決めたのか。スレート型のコンピュータは iPad がオリジナルではないが、かといって次なるトレンドを追ってあの形のものを出したわけではない。そもそもトレンドがどうとかマーケットがどうとか、そういう発想のプロダクトではないように思える。マーケッターやアナリストの中には、そういうレベルでしか見えていない人もいて、失敗だとか、うまくいくとか、予想している。もちろん結局は NeXT のように、失敗する可能性がゼロとは思わないが、だとしても長いコンピュータの開発史の中で、iPhone、iPad が、切り開いた新しいコンピューティングのカタチは、生きていくのだと思う。Macintosh に以前と以後があったように、iPhone、iPad にも以前と以後があるだろうと思う。こういうことを指してエポックメーキングというのだ。
(100409)
2010年4月1日木曜日
皿洗いの法則
「何かを考える」ということ、それはとても不思議な行為だと思う。たとえば、「今日ランチしながら大切な議論をしたなぁ、デザインという営みは、他の人間活動や社会活動の中でもとりわけ重要なものなのに、どうして世の中の多くの人にそのことが理解されないのだろう、ああいう事例も、こういう事例もあるし、...あっ、たとえばこんな言葉で表したら、それはうまく伝わるかも知れない、...いや、それだとこういう誤解をが生じるかもしれない、けれど...。」私が、考えているっていうのは、こんなふうなことだ。
何かを考えねばと思って、すべての雑事をかたづけて、机に座ってリラックスした状態で、いざ考えようとすると、雑念の風が吹き荒れる。(今のちょうど外で吹いている強い風のように)
私の場合、考え事にもっとも適しているのは、朝シャワーを浴びているときなのだが、他には皿洗いをしているときとか、打ち合わせ先から帰る電車の中で景色を眺めながらとか、歩いているときとか。つまり何かの、それほど重要ではないが、かといってまったく無為にしていいわけでもない用事をしながら、というのがいい。だから「歩く」というのも、散歩のようにどうでもいい歩きよりも、どこからかオフィスにもどる帰り道などがちょうどよい。往くときはだめ。そういう意味では、シャワーも何もすることのない日曜の午後にゆったり浴びるシャワーはだめで、ウィークデイの朝、時間の限られたシャワーがよい。それからどれも、もちろん一人でいることがもっとも重要だ。
私はこれを皿洗いの法則と呼んでいる。「私はそういう大切なことを、皿洗いしながら考えた。」
(100401)
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