ラベル 機能 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 機能 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年11月6日土曜日

道具と機能の関係

われわれは、ある道具を作るときに、つい「機能」を盛り込もうと考えがちだが、本来機能は一つ二つと数え上げて、道具に「付与する」ようなものではなく、使う人が自然と道具の中に見いだすものだったのだと思う。
われわれデザイナーにできることは、使用者が自ら用を見いだせるように、デザイン実体をしつらえることではないか。なんだかうまく考えていることを表現できていないように感じるが、要はあまり作り手側が、機能を固定的に考えすぎないように、ということ。
製品のカタログの最後のページを飾る「機能表」を見比べるような競争から、デザイナーは一歩、身を引いていなければならない。(機能表を見比べるのは楽しいことではあっても。)作り手側が考えもしないような思わぬ使い方を使い手がするなら、その製品は成功であって、もし想定された使い方でしか使われないとしたなら、その製品は失敗なのだと考えたい。
(100725)

2010年10月20日水曜日

言語学について

コンピュータと人との対話のためのインタラクション言語は、言語学のサブカテゴリと捉えることは可能なのだろうか?
言語は私たちの思考方法そのものを規定するものである。言語学はそのことも含めて、言語の成り立ちや構造を「解明」することが目的である。言語学にとって、それらが何らかの形で理解できて、他の者に説明することができれば目的を果たしたことになる。もちろん言語は生き物であるので、解明に終わりはないのだけれど。
しかし私たちのインタラクションデザインという行為の目的は、コンピュータと人とがうまく意志疎通(コミュニケート)できることであり、うまくコミュニケートできる言語の構成や形式を創り出すことである。言語学の中では、よりよい言語を生み出すための方法論は論じられているのだろうか。「言語設計学」といったサブ分野はあるのだろうか。そこではいろいろな言語の「性能」といった視点が論じられることはあるのだろうか。
※ここにも分析と統合の違いが見える。
(101020)

2010年7月25日日曜日

道具と機能の関係

われわれは、ある道具を作るときに、つい「機能」を盛り込もうと考えがちだが、本来機能は一つ二つと数え上げて、道具に「付与する」ようなものではなく、使う人が自然と道具の中に見いだすものだったのだと思う。
われわれデザイナーにできることは、使用者が自ら用を見いだせるように、デザイン実態をしつらえることではないか。なんだかうまく考えていることを表現できていないように感じるが、要はあまり作り手側が、機能を固定的に考えすぎないように、ということ。
マーケットに流布している製品のカタログの最後のページを飾る「機能表」を見比べるような競争から、デザイナーは一歩、身を引いていなければならない。作り手側が考えもしないような思わぬ使い方を使い手がするなら、その製品は成功であって、もし想定された使い方でしか使われないとしたなら、その製品は失敗なのであろう。
(100725)

2010年7月8日木曜日

機能

思えばずっと昔から「機能」という言葉に、なんとなくざらついた感触、というか、いつも括弧付き(欧米人が両手の人差し指と中指を二回握りながら話すような)でしゃべっていたような気がする。日常でももちろん普通に使う言葉だし、嫌っているわけではないが、つねに距離をおいて自分の仲間ではないことを表明しつつ使ってきた。そして、その理由が今突然、何となくわかったような気がしている。
「機能」という言葉は、すでにそこに存在しているモノやコトに対して、その一部分を切り出し文節化して、その部分(物理的な部分である場合もある)に名付けたものである。そしてその分節化は、恣意的なもの、ないし慣習的なものであるように思える。しかし、そうやって切り刻んだ部分は、どこまでいっても部分でしかないのに、機能を網羅して語ることによって全体が語れるように錯覚してしまう傾向があるように思う。それが違和感の元になっている、ということだ。
(100708)

2010年3月11日木曜日

機能と構造

私がデザイナーとしてデザインを語るとき、その対象として見ているのは人が作り出すもの全般についてである。人が作り出すもの全般を指す言葉に人工物(artifact)という言葉がある。私はそれを機能体と置き換えてみたい。(英語でなんというかはわからないが。)
機械であれ、広告のようなものであれ、洋服、自動車、ロケット、芸術、あるいは制度としての家や政治や国、どれも機能を持つ「機能体」であると言える。人工でない機能体もあるかもしれない。例えば本当の(?)自然公園とか。しかし自然公園の機能(例えば「癒し」)は、人間がすでに存在する自然の中で発見した(というか付与した?)のだから、準人工といってよいと思う。
芸術の機能は、...。うーむ、それはおそらく、自分たち自身を知るという鏡のような機能なのだろうと思う。
とにかく、人工物の存在理由はその機能性にあるといってよいと思う。何らかの「働き」をするためにそれは作られた。意図的の場合もあるだろうし、無意識的な場合もあるかもしれない。それでこれを、明確にいうために「機能体」と呼んではどうかということだ。
(機能のない人工物、というのはあるのだろうか? 今はないと思えるが...。)

機能は構造に宿る、というのは本当のことのように思える。私にはそれはリアルだ。
養老孟司は「心とは、脳の作用である。」と言った。脳自体はある種の構造体である。頭蓋を開ければ目に見て手で触れることができる。しかしその機能である「心」は、見えないし触れられない。しかしそれはそこに確かにある。
一般に、構造から機能を想像することは難しい。簡単な機械仕掛け(構造体)なら、それがどういう働きを持つもの(機能体)であるかはわかるかもしれないが、仕掛けがその機能すべてとは限らない。昔社会科の教科書に、考古品の鼎は(どう見ても入れ物ではあるのだが)、何に使ったのかよくわかっていない、と書いてあった。もちろん入れ物には違いないのだが、それだけでは説明できない文様や形状的な特徴があるという話であった(気がする)。ましてや、脳の構造をいくら仔細に観察しても、それが発揮する機能を言い当てることはとても難しい。私たちは、人間がどういう思考回路や行動基準をもっているかをある程度知っているので、それをもとに脳の働きと構造を結びつけることも可能だろうが、まったく異なる生体系の宇宙人が脳を見て、その機能を言い当てるのは難しいだろう、と想像できる。(宇宙人が「脳」に相当する器官を持っていれば、少しは想像しやすいだろうとは思う。)

話をもどして、私たちデザイナーが扱おうとするのは、まさしくこの機能体である。私たちは「ある働きをする何か」を作ろうとしている。人は決してこれこれの「構造体」を必要としているのではない。構造はどうであってもよい。
しかし、機能が構造に宿るものである以上、また機能を直接見たり触れたりできない(つまり直接作れない)以上、ある「働き」自体を想念すると同時に、さらにそれを実現できる構造を発見し、発明することをしなければならない。これはなんともアクロバティックな所業であるといわざるを得ない。

まとめて見よう。
a. 構造(体)は、見て触れられる実体である。
b. 機能(体)は、直接に見たり触れたりできない、虚体(?)である。
c. 機能は構造に宿る。(機能は構造に宿る、という形でしか存在し得ない。)(←要論考)
d. 人が欲するもの、必要とするものは、機能(性)である。(人は直接に構造を欲することはない。)(←要論考)

デザイナーがすべきことはかなりクリアになってきたかな。
1. 人の欲する、必要とする、機能(働き)を知ること
2. その機能を発揮すべき構造を見いだすこと

いや、しかしまだ困難は続く。
1-1. 人の欲する機能を知ることが、むずかしい

それが本当に人に欲っせられるかどうか、それを判断すること自体がまず困難である。機能は構造体を通してしかやってこないのだから、構造を示した上で「この構造体が発すると思われる機能を、あなたは欲しますか?」と問わなければならない。
そもそも欲しいもの(機能)は何なのかを探って、その構造を作り出そうという戦略なのに、構造を示さないと機能を語れないのでは、何もはじめることができない。


まぁまぁまぁ。しかし、そうはいってもそれが実相であるし、人はずーっと昔からこういう状況の中でいろいろなものを作ってきた。したがって、今さら何も悲観する必要はないのだろう。
こういった構造的な困難さの中で活路を見いだす行為こそ、私がデザインと呼んでいるもの作りなのだと思う。
(100311)

2007年4月18日水曜日

現象と印象

デザインは現象とそれが引き起こす印象との関係を調整すること。
ふつうの状況では、人はある現象に相対したときに、ある印象を持つ。
しかしデザイナーがしなければならないことは、未来において人がある印象を持つように、現象を創り出すことである。

ここでいくつか困難なことがある。
第一に、ある印象を引き起こす現象は無数にあること。そして、印象は現象とセットになっているので、現象をさしおいて、どういう印象を与えるべきかを議論できないということ。これはデザインでいえば、ある対象のデザインを考えるとき、コンセプト(=与えたい印象)は、アイデア表現(=作るべき現象)とともにあるので、アイデアスケッチなしで、コンセプトを議論できないということ。あるいはアイデアスケッチを使って「しか」コンセプトが議論できない、ということ。つまり、アイデアスケッチというのは、コンセプトを語るための言語であるということだ。
なんについてもそうだけれど、メディア(ことばとか、アイデアスケッチ)なしでは、概念を語れないということだ。
もしかすると、概念がことばに先立つ、という観念がそもそも違っているのかも知れないという気もするが。

(070418)

機能と構造(100311)で、まったく同型の議論を展開している。
(100314)