2010年2月27日土曜日

ハードなデザイン、ソフトなデザイン

ソフトなデザインとは、使い方からアプローチするデザイン。
ハードなデザインとは、作り方からアプローチすることと、おいてみよう。

ソフトウェアとハードウェアということとは、直接は関係しない。
これらのアプローチは、実際には相対的なものだ。ハードウェアとソフトウェアをしいて比べれば、その名の通りの位置づけになるかもしれないが、それぞれ中にもハード/ソフトはある。つまり南の街にも北の街にも、街の北側はあり南側もある、ということだ。

ハードウェアのデザインにおいて、そのものの使い手はどういう人で、使われる状況はどうであるか、と発想していくこととはソフトなデザインである。
それに対して、材質や設計方法からアプローチするのがハードなハードウェアのデザインアプローチである。あるいは競合機種やマーケット自体だけを見てデザインすることもこちらの範疇だといってよいと思う。
ハードなデザインを行うときにも、実際にはソフトな面をいっさい考えなければものはできない。スポーツカーがスポーツカーであるのは、スポーツ的に人が運転できること、といったソフト的な解釈が暗黙の前提にはある。
しかし、自動車を通したこんなスポーツの在り方もありうるのでは、と問うことはソフト的なアプローチである。もちろん、自動車そのもののソフトを問うことも可能だろう。

ソフトウェアにおいても、ハードなデザインはある。データ構造やアルゴリズムからアプローチすることはハードである。いわゆるユーザーインターフェースは、基本的にはソフトな面であるが、その中にすらハードよりの発想を指摘することができるかも知れない。人間も機械のように見なして、仕事の効率で効果を計ろうとすること。あるいは設計指針として守るべきことを10箇条のガイドラインとしてまとめて守らせようとするようなアプローチ。
ユーザーエクスペリエンスというのは、かなりソフトなアプローチに思える。

ソフトなデザインはそのものにとって、より根源的である。その道具とは何か、何故必要なのか、どのように我々を変えてくれるのか、を問うのだから。これなくして、ハードなデザインはありえない。

私はハードなアプローチは、否定されるべきとは考えない。むしろ非常に重要なものであって、欠かすことができない。多くのイノベーティブなものはハードなブレークスルーをともなわなければ可能にならない。
私が言いたいのは、その両方のアプローチの意義や重要性をよく理解して、どちらが正しいか、というような決着を求めるような議論をしないこと。まさしく車の両輪として働くように、多くの人ができるだけ高いレベルで両方を理解したうえでデザインすることが重要なことだと思う。
(100227)

2010年2月9日火曜日

人間観察

人間中心にデザインを進めるということは、人間をよく観察するということにつきる。ユーザビリティのテストといっても、最後は人間観察に行き着く。
そして人間観察において重要なことがあるとすれば、それは自分自身を内省することなのだと思う。どんなに子細に使用者の言動を記録したところで、その言動が本当に何を意味しているのかを読み解く辞書は自分自身の内省によってしか得られない。この辞書を人から人へ教え伝えることも、またとても困難なことであるように思う。その辞書は、その人の生き様にストレートに関わるっていることだから。
被験者に、今何を感じたかを問うのはよいが、そこで得られた被験者の答えは、これこれの問いにこれこれの被験者はこう答えた、という客観的な事実の記述でしかない。被験者がそのように感じたと発言したことと、被験者がそのように感じたことを、混同してはならない。カスタマが欲しいと声を上げるものと、カスタマが本当に欲しいと感じているものとは基本的には一致しない。
犯罪者の自白は、証拠として採用しない、という考えがあると、ある弁護士から聞いたことがある。あくまで客観的な証拠によってのみ立証をするということであるらしい。

私たちデザイナーは特に、自分がこのように振る舞っていることには、どういう気持ちが潜んでいるのか?
こういう気分のときには、どう振る舞っていたいか、それらに人一倍敏感になるべきだろう。
(100209)

2010年2月2日火曜日

iPadのメッセージ

スティーブ・ジョブスによる "iPad" というメッセージは、コンピュータなんて本当に必要なのか? という問いかけのような気がする。
私たちにとって、コンピュータ(PC)は、たしかに便利でなくてはならないものに感じられるが、本当に私たちが必要としているのはこのPCなのだろうか。
PCは、それ自体が自己目的化している。特にIT関連の業界にいて、日々それに接してそれを作り出す側にいると、根本的な疑問を忘れてしまいそうになる。新しいよりよいPCが必要なのは、それはおそらく今使っているこのPCよりも速く強力だからだ。しかし、そもそもそれが不要だとしたら何のための強力化なのだろう。
本当に必要なものを見極めようとする眼を常に磨いておかなくてはならない。
(100202)