2009年11月29日日曜日

外部構造としての現象

自分の考えるデザインの中心課題とは、「現象」を主体とした判断を行う、というものである。
ここでの「現象」とは、直接に人々の認識の対象となるもの、という意味である。
「非現象」、すなわち内部構造は重要である。それが正しく設計されていなければ、正しい現象は生み出せない。
それでもあえて私が現象と唱えるのは、デザインの受けとり手にとっての判断材料はそれしかないのだから、そこから始めるしかあるまい、ということだ。デザイナーとしての私のリアリティがそう言っている。
またモノづくりの中で、他のどの分野もそれについて取り組むことを表明していないからでもあるのだが。
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現象とは外部構造であると、いってよいのだろうか。ソフトウェア開発の現場で「外部仕様書」という開発文書があるが、これはまさしく外部構造を規定するものであり、本来はデザイナーがこれを書くべきである。というか私たちはこれを時に書く。
(091129)

2009年11月16日月曜日

情報はデザインできない

RT @ジェフラスキン: 情報はデザインできない。デザインできるのは伝達のモードであり、情報の表現方法である。これは情報の本質に関係することなので、デザイナーは『情報」と「意味」の概念を明確に区別しておくことが重要だ。
(091116)

2009年11月13日金曜日

“イメージ”の力

イメージ、それはひとつの想念全体。一次元的な論理の連鎖ではなく、二次元的な広がりをもった全体視野である。“頭”で単にわかっているということではない。その瞬間、関連するすべての事象が“見えて”いる。だから頭でわかっていることをあらためてイメージすることもできる。いやむしろ頭でわかっていることをもう一度イメージすることはなによりも大切なことだ。
(これを語っている今、私の頭(心?)の中には、“イメージ”というものに関するイメージ(メタイメージ)ができあがっている。)
またこうも言えると思う。”理解を見る”ことが、イメージしているときに起こっていることだと。つまりイメージすることの中には、メタ認知的なものがあるということになるのだろうか。
(091113)

2009年11月4日水曜日

デザインという仕事

デザインという仕事が、いったい何をやっているかといえば、未来のモノゴトを計画的によりよく決めるということである。そしてそこで用いる方法論はかなり単純なものである。(と思う。)
はじめには、対象となるモノゴトを現象として捉え、理解するということであり、つぎにそれらに関するアイデアを考えて、できるだけきちんと(複数の案に)表現して、そしてそれらを比べ、よりよい方を採用する、ということである。
すごく当たり前のことであるが、現象的に見ればこれ以上のことはないといってよいと思う。

デザイナーが絵(図、図面)を描くのは、このためである。(サウンドデザイナーなら、絵を描かなくてもよいかも知れない。たぶん、その代わりに音のスケッチをする。)
絵(具体的な表現=未来の想像による現象)を描かないデザイナーを信用してはいけない。言葉だけでコンセプトを語る人をデザイナーとは呼ばない、と私は思う。

現象:人が観ることのできる象(かたち)として現れていること。
(091104)