2008年12月18日木曜日

問いを見つけること

「No Probrem! 問題ありません。」
はいそう、問題なんてないと思います。問題はクリエイトするものなのです。


デザインというのは「問い」を発見すること、もっといえば「問い」を発明することなのだと思う。そして「問い」を提示することが、本当はもっとも世の中に求められていることなのではないか。三段論法でいえば、だからデザインが持っているパワーは本当に重要なものなのだ、と思う次第です。
いくつも飛躍した仮定の砂の上に城を建ててしまったが、今すぐにここで論証することしない(できない)。こういう状態を「信じている」というのだと思うけれど、これからも書いていく、いくつもの文章でそのことが読んでいる人にじょじょに信じてもらえるとうれしいと思う。


デザイン、あるいは「人が生きる」ということにおいて、答えはいくつもあるように見える。しかし、それらに複数の答えがあると思うのはたぶん錯覚で、あるのは複数の問い、あるいは見方、視点、姿勢、態度、なのだろう。もちろん一つの問いに対して技術的な未熟さから複数の答えが「出てしまう」ことは大いにありえることだろう。でも実際には問いのブレが複数の答えを生んでいるだけの気がする。だから「答え」という概念はそもそもない、ともいえるのかもしれない。うーむ、ちょっと飛躍しすぎかな。


どう問うか、それが問題だ。


きっとこのことは、いつかまた書くと思う。
(081218)