2008年7月10日木曜日

デザインを教える

デザインを学生に教えるにあたって、What is design と How to design の二つがあるけれど、最終的には What is を教えたい。How to は時とともに変わる。コンピュータ以前/以後でも、What is は変わらない。How to は、表面的には変わった。
How to は必要ではあっても十分ではない。答えが十分であることを決めるのは How to ではない。

「こことここを揃えておいてね。」「はい。」
「あれ、揃ってないじゃん。」「いや、ちゃんと揃えるコマンドを使いました。」
「でも、揃ってないもん。目で見りゃわかるよ。」「でもー、、、ほんとだ。」

では何が答えがそれで十分であるのかを決めるのか。それは感性なり見識ということになるのだが、それを断ずることこそがデザインの本質(What is)といってもよい。
(080710)

2008年7月7日月曜日

高齢者のためのデザイン

高齢者のためのインターフェースデザインは、今後の私の課題というか使命だ。当事者だし。
それは、文字を大きくするとか、色のコントラストを高くするといったことより、もっと認知によった部分で。

たとえば高齢者の認知的プロフィール
・細かな違いに、すぐに気がつかない。
・書いてあることではなく、書いてあると思っていることを信じる。
・意味が頭で像を結ばない。特に新しいことには。
・複数のことを同時に処理できない。
・一度に一つずつシーケンシャルに処理する。(パラレルでなく)
・宙ぶらりんの概念は苦手。
・短期記憶の蒸発性が高い。
・長期記憶への敷居が高い。(それを超えるのはどういうときか?)
(080707)

2008年7月5日土曜日

差異、意味、価値

差異が意味となり、価値を生む。

ハードな差異: 客観的、論理的、実証的な差
ソフトな差異: 個人的、感覚的、非実証的な差

もちろん重要なのはソフトな差異。それがなければ価値のレベルには到達できない。極端な話、ハードな差異は人間がいなくても測れるが、ソフトな差異は人間でなければ測れない。

愛というのは、差異を愛でる心。ちがいに、魅了されること。
しかもその差は、一個性、一回性、個別性、特殊性の中に存在する差。
つまりある人を愛するというとき、その人の個性や固有性、一人かぎりのその人、よいことも悪いことも含めて、他とは違う一個のものとして魅了されること。
(080705)