2008年4月23日水曜日

似ていることがわかる

デザインやアートに関する感性や才能、あるいは単に能力というものがあるとしたら、それはどういうものか。
少なくとも、二つのものが似ていること、あるいは似ていないことを言いあてる能力というのは、大きいものではないか、と思うのだ。それは同一性というより、相似性が問題になる。
(080423)

2008年4月18日金曜日

価値

価値というのは、ものについた属性ではない。価値はそれを与える人の側にあるものだから。
たとえばダイヤの指輪があるとして、100万円の値札がついているとしよう。このとき、その指輪には100万円の価値がある、といっていいのだろうか?
いや、それは宝石商が思うところの価値としての値段だ。それを200万円の価値があるという人がいてもいいし、いいや1000円の価値しかないという人がいても構わない。どっちにしても、そんなことは宝石の知ったことではない。
オブジェクト指向的に表現すると、Jewelryクラスのインスタンス変数に価値worthを置くのは間違い、ということだ。
価値はそれを見て評価する人の数だけある。また付け加えれば、時とともにくるくると変わっていくものだ。 
(080418)

2008年4月13日日曜日

楽器という装置

その他のいろいろな物と同様に、楽器という装置は本来なかった。叩いたら、引っ掻いたらおもしろい音がした。少しでもいい音がするようにいじっていったらいつか楽器になった。音がするものが楽器なのだから何でも楽器だ。(何でも重さのあるものは文鎮だ、というのと同じように。)

じつは楽器だけではなく何でもそうなんだ。つまり道具は工夫の結果の何か。だからいろいろな道具は、すでにあるものと考えなくてよい。新しいいろいろな何かを考えたいと思う。

2008年4月11日金曜日

デザインの一回性

デザインの醍醐味はその一回性にあるといってよいと思う。そういう意味でいわゆる工学とは相容れない部分がある。(正しくは、デザインを包含しないと工学は完成しないと思うのだが、現在の工学の基本的な考え方はまさしく一回性を廃して、再現できるものだけを相手にしている、そうである。)
オブジェクト指向による設計の中心はクラスをどう規定するかが焦点である。しかしデザインの立場では、実際の仕事をしているインスタンスに関する考察抜きでは語れない。大切なのは、個人のAさんでありBさんなのであって、AさんやBさんを抽象化した「人間クラス」(やその属性のパターン)なのではない。それは設計上の方便といってもよいと思う。
どのような設計の元にそれが作られたかどうかはどうでもよい話で、それが使い手の中でどう使われ、どう手になじむかどう汚れてどう壊れていくか、捨てられていくかまで含めないとデザインは考えられない。
絶対スケール。また数学的にはスケールは相対的なものであって、あまりそれ自体に意味はない。しかし現実の世界ではスケール(絶対スケール)は大きな意味を持つ。数学的には1000kmと1km、1mと1mmは、相対的に1000分の1の大きさ関係でしかないが、実世界ではその絶対的なスケールが意味をもつ。宇宙と原子核が相似形をしていようと、絶対的なスケールが、ときにはそのスケールだけが意味を持つ。
デザインの一回性、一期一会、個別性、絶対スケール、具象と抽象、クラスとインスタンス、一般化と具現化。
これらはすべてデザインの質について自分が持っているある共通した概念を語ろうとしていることのなのだが・・・、うまくまとめることができない、今は。
(080411)

2008年4月10日木曜日

インターフェースデザイン

「インターフェースデザイン」というけれど、それはトートロジー(同語反復)なのだと思う。「デザイン」をするということは、「インターフェース」を調整することに他ならない。
インターフェース、つまり異なる系Aと系Bが出会うところにこそ問題が生じる。"差異" のないところに "調整" という概念も成立し得ない。
("差異" は、"価値" あるいは "意味" と同義なのであった。)("価値" を生み出そうとすることは、どうやって "差異" を作っていくかということ。)
その人を意義づけるものが価値観であるとするなら、それはその人の "差異感" とでも呼ぶべき物から生まれるといってよい。
その人が感じる違和感(悪い意味ではなく)、なんとなく違うと感じる感性、AとBとの微妙な味の違い、スパイスや塩や出汁の違いを言いあてること、そこからその人が生まれる。
(080410)